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2014年3月 4日 (火)

お知らせ

令和2年9月10日に牧会書簡を除き新約聖書はすべて終わりました。旧約聖書も預言書と諸書の一部を終わりました。カテゴリー「おじさんの聖書」として15本の投稿を経て、創世記の残り12章以降の投稿も終わり、出エジプト記も投稿が終わりました。本年度は、牧会書簡のテモテとテトスを投稿し、その後、預言と黙示録関係を「おじさんの聖書」で投稿してみたいと思っています。

現在の投稿文書総数は1796本です。

なお、聖書本文の記事はすべて副題ごとに解説していますので、記事は副題で索引していただければ、該当箇所を索引しやすいと思います。

 

一言

キリスト教と言えば一般的には宗教ですが、そのキリスト教が経典とする聖書は、神の言葉であり、預言の書であり、キリストを証しし、天地万物の創造主の存在を証しするものです。

したがって、同じ宗教でも仏教とは根本的に違いますから、どちらが正しいとか比較選択できるものではありません。

言いたいことは、宗教は人間が作ったものですから、人間に悪用され、間違いを犯しますが、真理は変わることは無いということです。

何故聖書の言葉が真理かと言いますと、聖書の言葉は天地万物を創造された創造主を証する言葉だからです。

聖書は、創造主が被造世界に残された文字による軌跡だと思います。

私の信仰の原点は、この天地万物は、進化論学者が言われるように進化により自然にできたものではなく(進化には科学的証拠はないと言うことです)、造られた何者か、すなわち創造主がおられると疑いなく信じるところにあります。

そして、そのことを証するものは、私にとって、聖書でありこの人間を含めた被造世界である自然界全体なのです。

問題は、聖書は神の言葉ですが、人間の言葉で著されていますから著者(創造主)の思いを正確に伝える手段としては不完全です。ましてや時代を通じて不特定多数の人々に思いを正確に伝える手段としてはどうかと思うのですが、人間にはこれしか方法はありません。

それに写本が作成され、各国語に翻訳されているのですから、いろいろな解釈が生まれ間違いが生じます。

しかし、そこに神の御霊、聖霊が働かれる余地があるのも事実です。だから信仰が必要なのでしょう。

世界の歴史を見て、聖書を信じる人々がなぜこのように間違いを起こすかを考えると、それは人間が自己中心的に物を考え捉えるからだと思います。

人間が、聖書を創造主の都合ではなく、自分に都合よく解釈して信じ込むことに問題があるのだと思うのです。

いわゆる、被造物である人間の傲慢です。もちろん、聖書を改ざんし自分は神だと主張する教祖は論外です

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