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2013年9月 1日 (日)

今日わたしと一緒に楽園にいる

ルカの福音書23章43節

●43節.するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

この言葉は、十字架につけられて苦痛のただ中におられるイエスが、隣でイエス同様十字架にかけられている犯罪人に言われた言葉ですが、この言葉は、自分と一緒に十字架につけられているという関わりの中にいる犯罪人だけに言われた言葉ではないと思うのです。

これは、イエスが時代を超えて、すべての人に語ろうとしておられる言葉として受け取りたいと思います。

なぜなら、この言葉を受け取る犯罪人も直前まではイエスの言葉を信じていなかったか、知らなかったからです。


イエスが、この犯罪人を楽園(パラダイス)に招かれたのは、直前に犯罪人がイエスに語った、ルカの福音書23章42節の「そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。」というこの言葉だけなのです。

イエスのことを知り、イエスの言葉を信じていたことがうかがわれますが、なんら良い行いもしていません。ただ、自分をよく知っていた(罪とその結果を)と言うだけです。

だからわたしは、イエスは誰に対しても、未信者に対しても「わたしはあなたと一緒にいるのだ」と語りかけておられると思うのです。

そして、「わたしを思い出してください」の一言でこの罪人はパラダイスに行けたのです。

もちろん、「わたしを思い出してください」というのは、罪を悔い改め、イエスの言葉を信じたことが前提にあります。

救われるには、小難しい理屈とか行いはなどいりません。

普通の人間は死んだら終わりですが、イエスは、自分が死ぬことが分かっていても、自分はまだ生き続けることを前提にして言葉を発しています。

そして、その言葉を普遍的なこととして、すべての人に対して語っています。

それができるのは、十字架で死んでも復活し霊イエス(聖霊)となってご自分の語った言葉を実現させることができることをご存じだからです。

またそれは、人類救済という大いなる御業で、神の約束であることをご存じだからです。

マタイの福音書は、復活されたイエスが弟子たちに現れて、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という言葉を残しています。

ヨハネの福音書は、捕えられる直前にイエスは弟子たちに遺訓を語られましたが、その中で、聖霊という形で復活者したイエスが弟子たちの「同伴者」として生き続けることを約束されています。

それでは、イエスが「あなたは今日わたしと一緒に楽園(パラダイス)にいる」と言われたパラダイスはどのようなところなのでしょう。

でも、聖書を読んでいると、イエスと一緒にいるところがパラダイスのように思います。

この世においてもあの世においてもです。

ただし、パラダイスは天国ではないと思います。

教会というか教団によっては、クリスチャンが死ねばそのまま天国へ行く(パラダイスを天国と解釈しているのでしょうか)と言われているところとパラダイスに行くと言われているところがあります。

どちらが正しいのか知りません。

パウロはこう言っています。「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(テサロニケの信徒への手紙第一 5章10節)。


この聖句は、主イエスが十字架で亡くなったのは、代わりに聖霊をこの世に送られて、わたしたちが生きていても(この世でのこと)死んでいても(来世でのこと)霊となった主イエスが何時もわたしたちと共にいてくださるようになるためでした、と言っているのでしょう。

主イエスも肉体のままでは、一部の周りの人たちとだけしか共にいることができませんが、霊となられたら、あまねくこの地上におられることができますので、すべての人とともにいることができるということでしょう。

それもこれも十字架のおかげです。そういう意味で、十字架はキリスト教の根幹です。

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