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2013年8月31日 (土)

永遠の命の言葉

ヨハネの福音書6章

●68節.シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。

ペトロはイエスに、「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」と言っています。

人は、生まれたままの状態では人間とは言えない。人間になるためには人間としての学習能力の向上が必要です。

学習能力は、言語に負うところが大です。人間社会の文化も、言語に負っています。

言語は、人間社会にとって必要不可欠です。

言葉を持っているのは人間だけだと聞きました。人間を人間として在しめているのは言葉だと言えます。

人間は他者と関わることによって社会を形成しています。

その関わりは言葉に依存しています。人間は言葉によって物事を考え、意志を伝え、知識と知恵を記憶し、人間として生きています。

わたしたちは人生で出会う人たちと言葉でもっていろいろな関わりを持ちますが、その中で生きる喜びや希望、苦悩や絶望を体験します。

人が自分の存在の意味を自覚するのも言葉によります。そうそう、時代を超えて物事を伝える手段としても言葉を文字にして用います。

聖書では、神の言葉がイエスを誕生させ、天地万物を創造し、維持し、わたしたちを創造し、生かしていると述べています。

人間の言葉にはそれを発する人の思いがこもっています。言葉は人を変え動かす力を持っています。神の言葉も同じです。言葉は働きかける力なのです。

そうです、わたしたちが神と出会うのも言葉によるのです。

わたしたちは自分を支える確かな言葉が欲しいのです。

それが神の言葉であれば、なんと心強いことでしょう。

その言葉を自分の中に宿すとき、どのような状況でも、死に直面しても、揺るぐことのない確固とした土台となって、人間として存在する意味と喜びを与えてくれると思うのです。

そういう意味で、宗教とか神話とか宗教的な儀礼は神の言葉を象徴しているのではないでしょうか。

イエスはご自分のことをこのように言っておられます。

「イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネの福音書6章35節)

命のパンは御霊のことで、神の言葉です。わたしのもとに来る者というのは、わたしの言葉を信じる者。飢えることがないというのは、御霊に飢えることがないということでしょう。

最後のわたしを信じる者は決して渇くことがないというのは、わたしの言葉を信じる者は無くなることのない聖霊に満たされて、永遠に生きると言われているのでしょう。

イエスが語られた言葉は、わたしたちに命を与える神の霊、御霊の言葉です。

その言葉は復活された霊なるイエスとわたしたちを結びつけ、わたしたちを新しい人間に創造し、神と共に生きる命に、つまり、命そのものである霊なるキリストに与らせるのです。

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