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2013年8月16日 (金)

貧しく暮らすすべも

フィリピの信徒への手紙 / 4章

●12節.貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。

人間は、貧しさに対処するよりも豊かさに対処する方が難しいと思うのです。貧しさに対処するには、倹約しまじめに働けば必ず乗り越えられると思うのです。

貧しい人は自分の弱さを知り、神様以外に頼るべき何物も持たないので、富んだ人よりは神様に近いと思うのです。

ところが、豊かな人は自分の豊かさを誇り、人を見下すという人間の自己中心性をむき出しにします。財力とか権力に頼り、追い求めて、己の弱さを知らない場合が多い。ましてや、神様を求めることなど考えもしないでしょう。

わたしは決してそのようにならないと言いましても、普通の人は弱さに負けてついついそのようになってしまうものです。

富に対処するには、その傲慢性を克服することが求められますが、人間の自己中心性の本性からそれはとても難しいことだと思うのです。

富を得ることができたのは、神様からの祝福であるのに、富を得たらそれは自分の才覚と考えるので傲慢になるのです。

だから、富を得たらそれは神様からのものと自覚するところに、富に処する道の出発点があると思うのです。アメリカのようなキリスト教国では、地位を得て富を得れば、寄付とか慈善事業にそれを使う人が多いと聞きます。

確か、内村鑑三も「後世への遺物」という本にその様なことを書いていたと思います。

富みは神様から戴いたものですから、戴いた人間は与えた神様に、その富を御心に沿って正しく使う責任があります。もちろん、報告する責任もあると同時に富の用い方に対して裁きもあるのです。

神様を知ればその責任感が生まれて、神様への畏敬となります。宗教はあるいみ神様への畏敬だと思うのです。

神様を知らない人は富を得ても、神様への感謝も責任感もないから、正しい使い方が求められているといっても、気が付かないでしょう。

成功した者たちは「勝ち組」と称し て、自分の力で富を得たと錯覚し、自分の欲するままに使って何が悪いとばかり、富を豪華な邸宅や生活に注いで自慢し、傲慢になるばかりのように見受けられます。

その様な環境で謙虚になれ、隣人を自分のように愛せと言っても、絶対的な存在としての神様を知らない人にはなかなか難しいところがあると思うのです。

人類に無償の愛とか、隣人愛を教えたのはキリスト教だと聞いています。

神様を知る者は、キリスト教教徒であれ、イスラム教徒であれ、この神様への責任感がありますから、富を築いた人たちには、それを神様が喜ばれる仕方で使おうとするものです。

社会が本当の意味で豊かになるためには、富に処する知恵が必要だと思うのです。人間の本性的な自己中心性と傲慢を克服する知恵は、神様を知ることから始まるのではないでしょうか。

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