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2013年8月 5日 (月)

豊かに暮らす方法

フィリピの信徒への手紙 4章

●12節.貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。 

わたしたちは弱いもので、貧乏は辛いし、欲しい物が買えないのを我慢するのも辛い。

経済力が物を言う今の世の中は、必要な物が買えなければ、時には惨めな思いもします。

古来世を捨てて出家という形で生きる人もおられましたが、誰もができることでもなく、たとえ、出家して隠棲生活に入っても、現世と遁世を行ったり来たりして、なかなか現世を捨て切れるものではありません。

西行法師などは典型的な方だと思います。

仏教徒の方でも、煩悩を捨てるように求められますが、なかなかできるものではありません。

生活に必要な物資さえこと欠くような貧窮の中で、心豊かに暮らすとか、人間の尊厳を維持することは、口で言うほど易しくはないと思うのです。

お金さえあれば何でも解決するかと言えばそうでもないと思うのですが、ただ、富を求めるだけの人生は、得てして心は貧しいものです。

欲と富みに翻弄されると、他者と比べ、他者の価値観に自分を置くことになるから、心は不安定になり、人間の尊厳を維持することは困難になります。

富に囲まれて、豊かで平安に包まれた人生が送れるのであろうかと問えば、それは難しいと思います。貧しい中で暮らすことよりも難しいのではないでしょうか。

なぜなら、人間だれでも、富を持てばそのことを誇り、それを得るために尽くした能力を誇り、富を持たない、能力の劣る者を見下げ、己が恵まれていることに感謝することを忘れ、世の中がすべて自分のためにあるように思う錯覚に陥り、神が最も嫌われる傲慢な人間になります。その上一度得た富を守るために神経をすり減らして心は不安定になります。

イエスはそういう富める人のことを、「富める者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しい」と言っておられます。

ましてや、キリスト信仰を守り行う人生は、貧しい中を歩むより富の中を歩む方がよほど難しいと思います。

でも、イエスは富むことを否定しておられるわけではありません。

その人が富めるようになったのは、それは神の配慮であることを忘れずに、傲慢に陥らないように、富むことができたことへの神に対する感謝を忘れずに、富を神のために、つまり、隣人のために用いなさいと言われていると思います。

ただ、その様な人生を送るためには、人間の努力とか能力では不可能に近いので、神の力、聖霊の導きに自己を委ねて、キリストとの深い交わりの中に生きるならば、それができると言っておられると思うのです。

世間を見渡せば、キリスト信者と称する人たちでも、教会とか教団での地位に誇りを持ち、富を求めて、人を支配することに奔走し、人を裁くことに忙しい方もおられるように思います。

そういう人が悪いと言うのではないのですが、それだけ人間というものは、富とか権力に弱いと言えます。人生、挫折することも、迷うこともあります。

それが人間です。

だから人生は、トータルで考えたいと思うのです。

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