被造物は虚無に服していますが
ローマの信徒への手紙8章
●20節.被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
●21節.つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
この聖句は、人間を含めて神に造られた被造物すべては虚無に服していると述べています。
虚無とは、何物もなく、むなしいこと。空虚。あるいは、 この世に存在するすべてのものに価値や意味を認めないこととあります。
わたしたちはいくら科学が発達しても、自分たちがどこから来てどこへ行くのか。何のために生きているのか分かっていません。まさに虚無です。
創世記によると動植物の管理者は人間ですから、人間がそのような状態であるから、自然界も当然虚無に服していると言えます。
日本人は自然との一体感の中で生きてきました。日本文化は人間と自然の共生の中で生まれました。日本でいう神は、自然神であるのは当然です。
それに対して、西欧の近代思想は自然を戦うべき対象として扱っています。だから、西欧では科学技術が発達したのでしょう。
現在はその西欧で発達して科学技術の最盛期です。科学技術は人間を豊かにしましたが、その代償として自然を破壊し、生態系を破壊しています。
まさに被造物世界が共に苦しみ、呻いているといえます。
こうして見ると自然界は、そこで生きる動植物は、人間と苦楽を共にする仲間だといえます。
聖書は人間に被造物世界と共に今の悪しき時代から救われる希望を約束しています。もちろん、自然界に生きる動植物も、われわれ人間と一緒になって救われるべき仲間だと思うのです。
科学技術は人間が五感で捉えることを扱います。何でも解明することができそうな科学技術ですが、このわたしたちが住む宇宙のあらゆる存在と出来事が、科学で解明されているのは、まだ、ほんの数パーセントだということです。
ほとんど何も分かっていないのです。わたしたちはまさに虚無の状態にあるわけです。
科学技術は、目に見えない世界を扱いません。聖書は語ります。
目の見える世界ではなく目に見えない世界に目を向けなさい。真理は目に見えない世界にあると言っています。
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