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2013年7月 4日 (木)

高ぶりの戒め

聖句
コリント信徒への手紙第一8章1節から2節
●1節.・・「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。

●2節.自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。

人の思い込みには間違った思い込みが多い。時に、自分の思い込みに気が付き間違っていると分かれば恥ずかしくなります。

自分の間違いを認めない人は間違いを悔い改めることもできないので救いようがないが、自分の間違いを認められる人はまだ救われる余地がある。

その様に思ってわたしはそういう場面に出会い自分の間違いに気がつけば、すぐさま間違いを認めて反省しょうと思う。そこでかたくなになれば救いようがない。

己の弱さを認めない人は、得てして自分たちの間違いを認めないから人間味を失う。そういう人は、強いようであって弱いと言える。

知らないことがあれば知らないと言える勇気を持てる人間になりたいとわたしは思う。

でも、物事を知ることの楽しみは何事にも代えがたいが、間違った思い込みを持たないように気をつけたい。その営みは人間が不完全であるゆえに永遠に続く。でも、その情熱と同時に謙虚を忘れないようにしたい。

若いときは気がつかなかったが、年をとると、人間分からないことばかりだと言うことが分かってきます。

2000年前も現在もわたしたちが知っていることは、この宇宙の全体からみれば大して変わらないのではと思う時があります。

生きている人たちは、どれほど優れた人でも試行錯誤を繰り返している。それが真実であろうと思う。

有名人と言われる人とわたしたちとは神の目からみれば違うのだろうかと、ふと、思うことがあります。

でも、聖書には神はすべての人を何ら条件なく愛されていると書かれてある。どのような人でも、神がその人を造られたのだ。

そして、その人にご計画をお持ちなのだ。神にとっては必要な存在なのだ。色々な人があって初めて神が目指されている新しい人間の創造が可能になる。

わたしたちは与えられた資質の中で生きるときがもっとも強いと言える。

それは、神のみ心に適った生き方だからであるからだと思う。個人個人の生まれ持っての資質は、神がその人に与え、その中で生きなさいと言われているのですからね。

しかし、どのような人でも、勉強でもスポーツでも人に勝ちたいと思うのは人情です。勝てる資質を持っていなくてもです。

でも、神は負け戦(挫折)から多くを学ぶことができると教えています。

こうして人間社会を見ると、わたしの周りにあるものすべてがわたしの成長にとって必要なことばかりではと思うことがある。今を共に生きる人々は、すべてわたしにとって愛すべき人々なのです。

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