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2013年7月 9日 (火)

敵を愛しなさい

マタイの福音書5章43節から45節

●43節.「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。

●44節.しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

●45節.あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

イエスは言われる。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさいと。

よく聞きますが、一神教は排他的で他の宗教を排除するから戦いが絶えない。だから仏教は素晴らしいと言われます。

しかし、イエスの言葉にほかの宗教を排除せよなどと言う言葉はどこを探してもありません。第一イエスは新興宗教の教祖でもありません。

イエスは神の子で人類を罪から救済するためにこの世に来られたのです。神の子ならば、当然人間の営みの一つであるすべての宗教を愛で持って包含されています。

この世に宗教と名のつくものは多くありますが、教祖が、自分が神だと言って、それを証するために死から復活された宗教はありません。イエス・キリストのみです。

イエスは敵を愛しなさいと言われる。そう、自分に不利益を及ぼす人でも、その人が嫌いな人でも嫌いなままで良いから愛しなさいと言われるのです。

ただし、嫌いな人を好きになれとは言っておられません。

好きと言うのは受け身で、特定の人に限ります。愛すると言うのは不特定の人を愛することができます。両者には大きな違いがあります。

そして、愛すると言うのはどういうことかと言うと、相手がしてほしいと思っていることをしてあげなさいということでしょう。そこには赦しと和解があります。

最後に、もしイエスの言葉が真理ならば真理は唯一絶対ですから妥協はありません。

そういう意味ではキリスト教には妥協はありません。真理は全てを愛で包むのです。

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