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2013年7月10日 (水)

右の頬を打つなら、左の頬を

マタイの福音書5章38節から40節

●38節.「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。

●39節.しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

●40節.あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。

「だれかがあなたの右の頬を打つなら」ですから、相手方は手の甲で自分の右頬を打ったことになります。

手の甲で相手の頬を打つのは当時非常な侮辱あたることであったということです。

右の頬を打たれれば自然と左の頬が前に向く、侮辱されても左の頬を向けなさいと言われるのです。

「下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。」と言うのも、当時の人たちは、下着はどんなに貧しい人でも着かえを持っていたが、

貧乏人は上着は一枚しかもっていなかったという状況で、砂漠地帯は、夜は寒く上着がないと言うことは健康を害し、命にかかわりますから、「上着をも取らせなさい。」は、

人に与えると言うことは、自分のいらないものを思いつきで与えるのではなく、時には自分の命をも与えなければならないことをその土地の実情の合わせて語ったのではと言われています。

もちろん、与える相手には自分が不利益になる相手も当然入るわけです。

その与える愛は、有り余ったものを与えるのではなく、与えることに痛みを伴っても与える愛、ときには、自分の一番大切なもの、命をも与える覚悟が必要だと語っておられるのでしょう。

本来の人のあるべき姿(完成した人間の姿)はそのようなものだと言っておられるのでしょう。わたしたちの現実とは余りにもかけ離れています。

やはり、神様の憐みと恵みがなければわたしたちは救われません。

神様がおられなければ、何の希望もないこの世は地獄です。

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