新しい人間
コリント人への第二の手紙5章
●17節.だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
現代は科学技術の進歩が速く、革新の時代といわれます。次々に新しいものがわたしたちの目の前に現われる。新聞やテレビは毎日のように新しい製品の出現を報じています。
そのうち鉄腕アトムが活躍する時代が到来するかもしれません。
品物だけではない。新しい言葉、新しい考え、新しい思想がどんどん現われて、時代は確実に新しくなっていくように見えます。
現在のわたしたちは毎日のように新しいものへの対応に追われえています。わたしのように70歳を超えてくると、次々と生まれる新しい言葉とか新しい物にはついていけないところがあります。
新しいものを追いかけることに謀殺されて人間そのものを見る心の余裕を失ってしまったようにも思えます。
それでも、ときどき現在の人間の有様に目をとめると、現代の人間も聖書に描かれた2000年前の人間も全く同じ事を考えたり、行ったりしているように思うのです。本質は何も変わっていないのだなと思うのです。
科学は進歩したが、人間そのものはあまり変わっていないように思うのです。
愛したり憎んだり、泣いたり笑ったり、生活に苦労したり快楽にふけったり、病み、老い、そして死んで行く。現代人が体験している事はみな、古代の人も同じように体験していることです。
このような人間の世に、2000年前に全く新しいことが起こりました。それは、キリストが死人の中から復活されたことです。
それは人類の歴史上今までになかったことです。伝説はありましたが、現実に墓に葬られた人が復活して、地上の人々に顕れたことはかつてなかったのです。
人類の歴史上ただ一度の出来事です。
だからそれは、驚愕すべきことで、ただ一度きりの出来事ですから、信憑性を疑う人もおられます。
そのことが二度三度と起こり得るものならば科学的に信憑性を立証できるでしょうが、人類の歴史に一度きりの出来事、つまり、神のみ業だから科学的には立証できないのです。
しかし、そのことを信じて根底から変えられた人がキリストの復活以降、この2000年間に、マザーテレサほか数えきれない人々が変えられました。
その人たちは、人生をかけて、命をかけてその体験を証するために生きたのです。
科学的に信憑性を立証できなくても、それが人類に与えた影響の重大さは前代未聞です。
何しろ欧米文化は、その人たちの働きの結果なのですから。近代科学は、その人たちから生まれたのです。仏教世界では、近代科学は生まれません。
キリストの復活は二度と起こらないことだから、後にさらに新しいことが起こって古いものになってしまうことが絶対にない。
だから、キリストの復活こそ新しいものの代表であり、いつでも、いや、永遠に新しいものといえるのではないでしょうか。
キリストの復活という新しい出来事により、地上の人類にも新しいことが起こったのです。
地上の死ぬべき人間が、イエスの言葉を信じることによって神の御霊、聖霊の賜物をもらい、キリストと結ばれてその生命にあずかり、永遠の命を宿して時空を超えて生きることができるようになったのです。
これは今までになかった新しい人間の姿です。2000年前のキリストの復活によって、新しい人間、新しい人類の創造が始まったのです。
「古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである」。その様に言える時が必ず来るのです。
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