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2013年7月 1日 (月)

心に潜む善と悪

ローマの信徒への手紙7章18から21節

●18節.わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。

●19節.わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

●20節.もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

●21節.それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。

この聖句を読んでいると、パウロと言う人が本当に身近に感じます。まことに人の心の中の働きを的確にとらえていると思うのです。


誰でも、殺してやろうとまでは思わなくても、他人に不愉快な思いさせたり、人を憎んだり、だましてやろうと思ったことはあると思うのです。

一つ間違えばそれらを行動に移し、取り返しのつかない過ちを犯す恐れがあります。

それはわたしたちの心に悪魔がささやき罪に導こうとする力が働いている証ではないでしょうか。

人間は神様に自己を委ねて生きていない限り、自己中心的存在です。

人間は自分に都合がよいかどうか、自分の利益になるかどうかで判断して生きていると言えます。悪魔はそこに付け込もうとするのです。

どれほど客観的で公平に物事を見る人でも、その人が何らかの意思表示をするときは、そこには必ず主観が入るものです。

主観が入れば、憎しみが生まれ、嫉妬が生まれ、罪を犯すことになります。

エデンの園以降、神に善悪の判断を委ねていない人間は誰でもその罪を犯す恐れがあるのです。

人はある意味、善と悪とのはざまを生きていると言えるのではないでしょうか。

内心の意思、つまり、神様の意志である良心の命令と、その人が発する言葉、行いとは必ずしも一致するものでないことはあきらかです。自分に問いかけてみれば、明らかです。

自分はとても良い人だとか、いつも自分はいいことをしていると本当に思っている人がいるとすれば、それは傲慢です。

その人は、自分の弱さに、本当の姿に気が付いていないだけ、気付いていない分だけ、救いようがないと思うのです。

自分を見つめてみると、自分はそれほど完全でしょうか。わたしは傲慢とかおごりが罪を生むと思うのです。

わたしたちはどこからきてどこへ行くのか、誰にも分かりません。自分自身の存在にも、確かなものは何もありません。そうであれば、もっと謙虚であるべきです。

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