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2013年7月19日 (金)

それぞれの生き方

コリントの信徒への手紙第一7章 

●7節.わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。

この聖句は、使徒パウロが結婚問題について語った箇所に出てくる言葉ですが、わたしの好きな個所です。

聖書はこの聖句が述べているように、人に画一的な生き方を押しつけてはいません。

人の生き方を決めるのはその人の素質や育った環境などだと思いますが、状況は様々です。

従って一人ひとりの生き方が違ってくるのは当然だと思います。

人の生き方がそれぞれ違うのは神がその様につくられたからだと思うのです。世界60億の民がいても、一人ひとりが違っていて、全く同じ人間なんていません。

創造の目的を達成する為にはそうする必要があるのでしょう。人それぞれ生き方が違うから人は人生において様々な体験をするといえます。

だから、どのような生き方をしている者にも神の子として同じように愛し等しく認めておられると思うのです。

どのような職業に就こうが、どのような宗教を持とうが、みんな神の子です。

神の救いという面ではそのようなことは関係はないと思うのです。

人はそれぞれ違った生き方ができるように造られているとしたら、その違いは神の賜物によるものであることいえます。

それは、とりもなおさず、生き方そのもの、人生そのものが神の賜物であると言うことになります。

自分の人生は、自分の能力や努力の成果ではなく、それらすべてが資格のない自分に神が恵みとして与えてくださった賜物に他ならないということです。

ですから、自分の生き方を誇ったり、他人の生き方を批判し軽蔑したり、妬んだりすることはないということでしょう。

多くの賜物(家庭的に恵まれた環境とか優れた能力とか健康とか)を与えられている人は、それを用いて人のために多く仕えるために与えられているのでしょう。

つまり、自分に与えられている賜物の量りに従って人に仕えていけばよいのですから、与える物がなくても、焦ることもないと思うのです。

だいたい、自分が存在していること自体が賜物です。賜物を与えてくださった神に感謝しつつ、その賜物に従って、自分の分に応じた生き方をすればよいと思うのです。

上を見て他者を見て、つまり、心のよりどころを浮世において生きる生き方には平安はないと思うのです。

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