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2010年5月12日 (水)

神がいるなら

人は不幸な出来事に遭遇したり、大惨事や自然災害で犠牲者が出たりすると、必ずと言っていいくらい、「神がいるなら、どうしてこんなことが起こるのか!」、といって嘆き悲しみます。

また、戦争やテロや繰り返される殺戮で、どれだけ多くの人々が殺され傷ついたでしょう。人類の歴史は、あるいみ、戦争と殺戮と災害の歴史といえます。

わたしたちの周りを見回しても、目を覆いたくなるような悲しい事件が多発しています。「神がいるならば、どうしてこんな非情なことが起こるのか。」と、思わず恨みの一つも言いたくなります。


しかし、よく考えると「神がいるならば‥‥。」ということばの背後には、「この世の中には正義の神がいるはずである。あるいはいてほしい。」

また、「その神は愛の神であるはずである。」との思いが、人間の心の奥底にあるということではないでしょうか。人は無意識に正義がなされることを望んでいます。だからそのような言葉がでてくると思いませんか。

もし、神など存在しないと信じきっているのであれば、いや神を思う心がなければ神と言う言葉も出てきません。

そうでしょう、誰も教えもしないのに、神という存在を人間が無意識の内に認めているということ事態がおかしいと思いませんか。

不幸なことが起こった時だけ、何故か「神」を持ち出して来て、「神がいるなら、どうしてこんなことを許されるのか!」という言葉を発する。

ところが、平和で平穏な日々を送っているときには、神のことなど気にもかけず、口にもせず、もちろん、その平穏な日々を神に感謝することもしないのです。

わたしたちは日常、自分が生きていること、水や空気があり、食べ物が与えられていることを当然と思っていないでしょうか。

ある人に、毎日食べる物が与えられているのは誰のお陰だと問いましたら、「自分の金で買っているのだから誰の世話にもなっていない。」とその人は答えました。

確かにお金はあなたが稼いだものですが。その食べ物はどうして造られたのですか。人間は、種を蒔き水をやり世話をしたけれどもその食物を成長させたのは誰でしょう。

綺麗な花が咲いているのも、必要な時に天から雨が降り、植物を成長させてくださるのも、日々平和に暮らせるのも万物を創造され今も支えておられる神のお陰だと思いませんか。

神の存在を認めない方もおられますが、そのような方も、もし理不尽な不幸に出会えば、「神さまがいるならなぜ」と恨みをいいませんか。

そのように神さまの存在を心の奥底で意識しながら存在を認めない。これって矛盾ですね。

人間は創造主である神に心を開き、創造の目的にそって素直に生きることができれば、その人の霊魂は、自分を造った創造主の愛を知り、輝き、平安と喜びに満たされると思うのです。

神はその愛を持って人間を、宇宙を支えておられ、被造物でもってご自分を現せられていると思います。人が心を閉ざすならば、神の存在は分からないし、神の愛は人の心に届かないと思うのです。

聖書では、神はご自分の存在を認めて欲しい、自分の愛を信じて欲しいといわれています。神の本質は愛であるということも教えています。

神から全人類へのラブ・レターとも言うべき聖書は、人間に対する愛に満ちています。

「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるからである。」(新約聖書マタイによる福音書第5章45節)。

「すべての人に、いのちと息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。‥‥実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。・・『我らは神の中に生き、動き、存在する』・・」(使徒言行録第17章25節から28節)。

わたしには人間に起こる様々な理不尽なこと、病や災難の原因を説明することはできませんが、わたしたちにそれらのことが起こる原因は、人間が神(創造者)に対して背を向け、神から離反しているためであると聖書は語っているのを知っています。

この宇宙は、もともと悪魔サタンが支配していました。そこに神はエデンの園を設け人類の始祖であるアダムとその妻エバを住まわせました。

「エデン」とは、「歓喜」とか「楽しみ」という意味であり、そこにはどんな不幸も悲しみも涙もなかったということです。神と人との平和な交わりがあり、自由と平和と愛と喜びが満ちたすばらしい世界であったのでしょう。

こうして人類はエデンの園で、サタンの支配するこの宇宙で、神の保護のもとに平和に暮らしていました。

もちろん、人と人の間に争いも憎しみもありませんでした。神は人が住むために必要なものをすべて備えてくださり、人が平和に生きるために完全に整った環境があったのです。

しかし、やがてこの平和な愛に満ちた世界に罪が入りました。

それは、アダムとエバが、神から食べてはいけないと戒められていた木の実を、ヘビ(サタン)の「食べてはいけないという木の果実を食べると賢くなり、神のように善悪を知るものとなる」というそそのかしにのり、木の実を食べ、神の戒めに背きました。

これをキリスト教では罪といいます。この事件で、人間は神の保護から自分から去ってしまったことになります。

創世記3章にその罪が人間に入って来た経緯が書いてあります。

神との交流がなくなると、人間はサタンの影響をもろに受けるようになり、サタンの巧妙な誘惑に乗り、どんどん神から離れていきます。

やがてアダムとエバ夫婦の間に亀裂が生じ、互いに自分が犯した罪について責任転嫁している姿も書かれています。

この3章に、初めて”苦しみ”ということばが出て来ます。

人が罪を犯す前のエデンの園には、”苦しみ”はなかったのです。罪の結果、女は苦しんで子を産み、男は苦しんで額に汗して食べ物を得なければならなくなったのです。

4章に入ると、今度は兄弟間の間に妬みと争いが生じ、ついに兄のカインが弟アベルを殺すという殺人事件まで起こってしまったのです。家庭内の殺人事件は、最近に始まったことではなく、この時から既にあったことなのです。

人類の罪の歴史は、その時から延々と今日まで続いているのです。これは神の責任ではありません。人間の責任なのです。

人間は、産みの親である神に感謝もせず、無視し、あるいは忘れてしまい、傲慢にも自分の力で生きているように振舞っています。まさに親の心子知らずというものです。

そういうことをすべて赦し、大いなる恵みの元に御子イエスを十字架に架け、全人類の罪を贖ってくださったのに、その恩恵を受けようともせず、その神を無視して自己中心の生活をすることは、神に対する罪なのです。

何か不幸なことや悲しいことが起こると、すぐ神の責任にすることは大きな間違いです。もし不幸に出会えば、きっとその出会いに意味があると思うのです。

そして、そうであればきっとその出会いはいつか、この世で報われるかどうかは分かりませんが、その人の益になるのではないかと思うのです。

神の恵みがなければ、わたしたちは、ただの一秒も生きることができません。その恩恵を忘れて、悲しいことが起こったときだけ神に叫び、神の責任にする。

戴いている恩恵を当たり前のように思って生きることが罪であると聖書は教えています。

この世は神が支配されています。いま私たちに起こっている、すべての不幸や災いには、必ず何か意味があることを信じる、必ずや益にしてくださると信じる信仰が大切だと思います。

この世で正義がなされなくても、必ずや正義はなされるのです。この世で報われなくても必ずや報われるのです。正義の神はおられますから。聖書はそのように教えています。

わたしは「神も仏もあるものか」と叫びたくなる出来事に出会うと神の摂理を深く顧みるようにします。そして自分を慰めています。

摂理と言う言葉を辞書で引くと、1自然界を支配している法則。「自然の―」2 キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。

神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。と書いてあります。キリスト教的に言い換えれば、わたしたちを最善に導く神のご計画といえます。

神は摂理(神の御心、御計画)をもってこの世を支配しておられます。したがって、この世の出来事のすべて(もちろん、わたしたち一人一人の人生をもです。)を神は事前にご存じで、許されているから起こっている。許されていないことは何事も起こらない。

神は人間を愛しておられる。したがって、今起こっていること、良いことも悪いこともそのご計画を成就するために用いられる。

すなわち、わたしたちの益になるように用いてくださる。わたしたちにとって悪い様には決してなさらない。だから、わたしたちが人生において体験する(出会いも含めて)すべてに意味があると言えます。

これらのことを確信を持って信じられたら、その人の人生は、何があっても平安と希望に満たされる。となるのではないでしょうか。

信仰とは、神を信じるとはそういうことだと思います。信仰はその人の人生そのものなのですね。(この部分は別の投稿文と重複部分)

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