歴史の背後に(1)
もし、この天地と万物の創造主がおられるならば、創造主は創造してそのままほっておかなくて、被造物にかならずや何らかの関与をされると思いませんか。人間が物を造るときと同じで、何かを造るときは必ず何らかの目的があって造るものです。
この天地万物の中に、秩序と法則が組み込まれているのは誰も疑問はないと思います。そうすると、宇宙に法則があるように人間の歴史にも意味目的があってもおかしくはないと思います。
わたしはどのように考えても、余りにも精巧で、秩序正しく整然と造られているこの天地万物をみると、創造主はおられると思います。否定できないのです。
次にわたしは考えたのが、もし創造主がおられるならば、かならずやこの人間の歴史に何らかの関与をされているはずであると思ったのです。
そして、人類の歴史の中で大きな影響を与えた出来事を調べてみますと、イエス・キリストの十字架による死と復活(顕現)だと思ったのです。
それで、わたしはキリスト教のことを深く知りたくなりました。本当に初歩の初歩からいろいろとわたしのたらない頭でこの十三年間調べてみましたが、その思いはますます深く、また確信に近いものとなりました。
たしかに、自分を神だと主張した人間はイエスのほかにたくさんいると思います。十字架に架かって死んだ人間もごまんといます。だけど、死んだあと復活し顕現した人間はいないと思います。
それに死ぬ前に自分が死んだあとに起こる出来事を予告して、それがすべて実現したという人物もいないと思います。
わたしは、この二つのことが真実だと思うからキリスト教を信じるのです。そうであれば、イエスの言っておられることは真実だから、この人間の歴史の背後に創造主である神様がおられることも確かだと思うのです。
そのような、創造主をわたしは神と呼びます。もちろん、この宇宙と万物が、一定の法則のもとに秩序正しく造られているのを見ると、その神は唯一であると思います。
沢山の神がいて思い思い造られたのならこのような人間を含む被造物の世界にはならなかったと思うのです。
人間の歴史は、殺戮と戦争の歴史と言われています。人間個人の姿を見ても、嫉妬と傲慢が渦巻いています。
このような人類の歴史をみて、創造主は決して満足されているはずはないと思います。最初人間を創造された時には、極めて良かった、と言われた神様です。さぞがっかりされているでしょう。
それとも、これら人間の姿は創造の目的の中で、計算済みのことで、ちゃくちゃくと計画を進めておられるかもしれません。
なぜそのように思うのかといいますと、創造主である神様はこの地球に人間を造る前にこの地球をサタンの支配下に置かれているからです。だから、そのように考えなければ理解できません。
旧約聖書の創世記では、神様が、この宇宙を、人間を創造されたとあります。今の人類の最初の人間は、アダムとエバです。
聖書から判断すると、神様は、この創造した人間に、善悪の判断を自分に委ねて、交流が途切れることがなく、神様への感謝の内に毎日を暮らしてくれることを願っておられたと思うのです。
そして、多様な人生になるように、あるいは何らかの目的があってか、人間に自由意志を与えて造られました。
また、人間は霊的な存在として造られたと聖書にはあります。その霊の命の元は神様の聖霊で、聖霊が途絶えると人間の霊は死んでしまうのです。
ところが、人間は自分で善悪の判断をすることを、サタンの誘いに乗り、自由意志があるゆえに選択し、神様に反逆しました、それから以降どんどん人間は神様から遠ざかって行きました。
そのために人間世界は見るも無残な地獄のような姿になりました。
このように、神への背信から霊的に死ぬべき運命にある人間を、2000年前に罪の中から、地獄から救い上げるために神は独り子イエスをこの世に遣わされたのです。
イエスの復活は、まさに神が支配する新しい歴史の始まりといえます。新しい人間の誕生と言えます。
だから、イエス・キリストがこの世にこられたときを境にして人類は、以前をB.Cとし、英語では、Before Christ(「キリストより前」の意味)と書く。
年代計算は、西暦元年の前の年を、0年ではなく「紀元前1年」とし、年数を逆行させる。以後をA.Dとし、Anno Domini(「主の年に」の意)と書く。
年代計算は、キリストが誕生されたとした年を元年として具体的な年を続けるということと決めたのです。
これは人類の歴史が、イエスがこの世にこられた時を境に、この世の君サタンの支配から神の恩恵による支配に移ったことを示しているのです。
現在も神の恩恵による支配の時代ですが、サタンは滅ぼされずに人類に影響を与え続けています。
キリストはすでに死から復活したことによりサタンに勝っているのですが、サタンが生かされているのは、意味があってのことだと思います。
これについては、もう少し考えてみて、また別の機会に投稿します。聖書には何も書かれていないと思いますので、さてどうなるでしょうか。楽しみです。
人類の歴史にこれほど大きな影響を与えた人間が、かつていたであろうか。今もまたこれからも、おそらく人類の歴史が終わるまで影響を与え続けるであろうと思います。
わたしは、これらの出来事を神の人類の歴史への関与だと思います。創造主が関与された形跡は、やはりイエス・キリストをおいて他にわたしには思い浮かびません。
イエスは、十字架にかけられ死なれたが、聖霊がかわりに助け手として今も働いておられる。そして、次々と新しいイエスを信じる者を起こされている。
過去の歴史を見ると、イエスを信じる者は、迫害を受ければ受けるほど増え続けている。そしていまや、世界人口の三分の一はキリスト教徒です。これは歴史的事実です。ここに神の強い意思と聖霊の働きを感じます。
神の関与は、この20年ほどの歴史を見ても、1991年は、湾岸戦争で始まりソヴィエト連邦の解体という世紀の大事件がおこりました。この年はまさに歴史が音をたてて転換する年となりました。
歴史の大きな転換にともなって各地に紛争と混乱が引き起こされ、そのために多くの人々が傷つき殺され、故郷を追われて難民となり、生活の困窮に喘ぐようになりました。
わたしたちは、あまりに無力で、ただただ手を合わせて神の恵みを祈らねばと思うばかりです。
わたしはこの宇宙を宇宙たらしめている、この人間の歴史を歴史たらしめている力が、その背後にあることを信じています。
その存在を創造主といってもよいのですが、その力は、自己を示す手段として、われわれを一定の法則で行動するように導こうとする一つの影響力、もしくは命令としてわれわれを導こうとする。
導きは、人間に自由意志があるゆえに少し複雑かもしれません。その力がどのような存在かは、神は人を御自分に似た者として創造されたと聖書にはありますから、わたしたち自身を見ればある程度推測できるのではなかろうか。
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