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2009年8月 8日 (土)

キリスト教は信じるに値するか

さて、今回はキリスト教と他の宗教の信頼性について考えてみたいと思います。キリスト教はこの2000年間、聖書の内容が、その教えが真実かどうかを疑われて叩かれ続けました。

キリスト教以外の宗教には、主なもので仏教、ヒンズー教、イスラム教などがありますが、キリスト教と違ってこれらの宗教は、歴史的起源の事実と、説かれているメッセージに関してわたしの知る限り徹底的にその信ぴょう性を調査されていないと思うのです。

書店の棚をみてもキリスト教以外の宗教の歴史的起源の事実と、教えの信ぴょう性を検証した書物は見当たらないのです。

つまり、書かれた内容がすべて正しいという前提で書かれているのです。それでは、なぜキリスト教だけがこれほどその信ぴょう性を疑われ、叩かれるのでしょうか。

この2000年間、聖書を読み、奇跡なんてばかばかしい、聖書は作り話だといってその信ぴょう性を覆そうと挑戦した多くの人々がいます。

その時代の優秀な頭脳により徹底的に調査、検証されましたが、もちろん、考古学上もですが、聖書もキリスト教も元の姿のままで生き残っています。結論は、信じるに値いしないことは何もないということです。


キリスト教の起源についての科学的、学問的調査は、その起源の土台を崩すどころか逆に強固にしたといわれています。

イエスのメッセージも、2000年前に語られたメッセージですが現在でも時代遅れになっていません。今でも生き生きと世界中の人々の人生を人生を二分する大きな影響を与えています。

日本の神道は、天皇家が神的起源を持ち、天皇は天照大神の子孫である、また日本国は男神と女神との結婚によってできたものと教えられていましたが、そのことが事実であるか否かの学術的調査はされたでしょうか。

その辺が不確かですから、神道には神の存在論が無くて儀式のみの宗教のようにみえるのです。

キリスト教は、経典である聖書の内容の信ぴょう性について徹底的に検証されましたが、書かれていることが、もちろん目の前で見たわけではありませんので全ては状況証拠だけですが、聖書の出来事を状況証拠は事実であると肯定しています。

それでは、仏陀は神でしょうか。創造主でしょうか。人間の力や自然の力を超えた存在でしょうか。仏陀は神であると主張したことはないし、仏陀は神の存在について不可知論者であったと聞きます。

また、アメリカの神学者であるポール・リトル氏の本には、「もし神が存在するとすれば、神は個々人が悟りに入るのを助けることができないであろう。

各人は、これを自分の力で達成しなければならないであろう。」と仏陀がいったと書いてありました。まさしく仏陀は人間です。

世界の偉大な宗教指導者のうちで、キリストのみが自分を神であると主張されていると思います。そのためにイエスは十字架にかけられて殺されたのです。すべての宗教を調べたわけではありませんが、そのように思っています。

マホメット、仏陀、孔子、この世の新興宗教の教祖も教えを強調します。本屋の宗教書の棚を見ましたら、多くの本を出している新興宗教の教祖、商売をしている教祖がなんと多いことでしょう。

キリストは自分自身の言葉と生きざまを持ってその教えの焦点とされています。仏教は、多くの知識人は哲学だと言っています。

イエスは、本は書かなかったし、商売もしなかった。金儲けどころか、イエスの主義主張に反対する人たちに迫害されて十字架にかけられて殺され、聖書によれば三日後に復活され自分の主張が事実であることを証されました。

聖書に書かれていることは、歴史であり、信仰者の信仰体験から生まれた信仰告白であり、イエスの御霊、聖霊の告白なのです。

それに、旧約聖書のころから、イエスの自己の生涯は予言されていたのです。そして、その予言はすべて実現したのです。このような教祖はどこにもいません。だから信じることができるのです。

聖書には、今でもイエスの御霊聖霊がイエスを信じる者を助けるために働かれていると証言されています。それを裏付けるように聖霊の働きでイエスを信じる者が今でも次から次と起こされているのです。

聖霊はイエスを迎え入れる人々の中に力強く入って行かれ、その者を変えられる。現に数えきれない人々が、イエス・キリストによってその生活に大変革がもたらされたことを証しています。

だれも感情的ではなくて理性的には聖書を否定できないのです。聖書に書いてある数々の奇跡もイエスの復活も否定できないのです。

この復活は、霊体で復活したとか肉体で復活したとか説はありますが、今となっては確認しようがないのですが、復活されたのは事実だと思います。

弟子たちが復活のイエスに出会い、その事実に人生を、命を委ねたのは事実なのですから。

もし、イエスが復活しなかったらキリスト教は今頃歴史の中に消えています。復活されたから、もろもろの新興宗教が消えていく中で生き残ったのだと思います。

ありきたりのことしか書けませんが、最後にポール・リトル氏の「あなたは何を根拠に信じるか」という書名の本があるのですが、その中の一文を紹介します。

「このナザレのイエスは、金も武器も用いずに、アレクサンドロス、カエサル、マホメット、ナポレオンが征服した以上の数えきれない人々を征服された。

科学も学問も用いずに、彼は人間の問題と神の問題に、すべての哲学者、その他の学者を合わせた以上の光りを投じられた。

学校で雄弁術を習われたわけでもないのに、後にも先にも語られなかったいのちの言葉を語り、雄弁家や詩人がとうていなしえないような影響をもたらされた。

たった一行の文書も書かれなかったのに、古今のすべての偉人を集めた以上の筆を動員し、説教、演説、討論、学問的著作、美術品、賛美のテーマをもたらされた。」

これほどの証拠があるのに仏教や神道は信じることができても、キリスト教は信じるに値しないと思いますか。

あ、そうそう、わたしがキリスト教を信じることが出来た理由がもう一つありました。

それは、キリスト教は教祖の受難と屈辱を信仰の対象にしているということです。そのような宗教は他にないと思います。

他の宗教ににわが身を捨てて他者を救う教祖がいますか。自分の命を捨ててわたしの言葉を信じなさいといわれたのですよ。

最後に、イエスは死ぬ前にご自分の名と言葉を世界中に述べ伝えなさいといって十字架につけられて亡くなりました。現在そのイエスの名前を知らない人は世界中にいるでしょうか。

そして、イエスの宣教活動は、つまり、公生涯は約三年と言われていますが、そのたった三年間で語られた教えとなされたことがその後の約2000年の人類の歴史にどれほどの影響を及ぼしたか。これは誰が考えてもただ事ではないと思うのですがいかがでしょうか。

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コメント

moonlightさんへ。
あなたは「捏造された聖書」に指摘してある聖書の矛盾箇所を自分で調べてみましたか。そのあとで批判したほうがいいのでは?

聖書は誰にも否定できないと書いてありますが、ちゃんと調べましたか?
バート・D・アーマンの『捏造された聖書』に詳しく書かれていますよ。

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