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2009年5月14日 (木)

十字架と救いについて(2)

「十字架と救いについて(1)」からの続きです。
イエスは十字架に架けられて死に、三日後に復活され、四十日間弟子の前に現れて、その後天に上り父なる神の右の座に着かれた。そしてイエスは、イエスを信じる者のために、父なる神にお願いして助け主として聖霊をこの世に遣わされた。

従って、聖霊はイエスの復活の御霊ともいわれ、この世にあまねく存在し、今も働いておられます。その働きは、未信者に罪を示し、真理へ導き、真理について教え、イエスを証しする者に力を与えます。これらは全て、聖書の言葉によってなされます。


聖霊は、キリストの十字架が神の贖罪(罪を赦すこと)の御業であることを啓示します。このことを、聖書は「キリストはわれらの罪のために死に・・。」と告げていますが、これは人の思いをはるかに超える秘義であります。

そうでしょう、だれがそのようなことを想像できたでしょうか。だれも、そのようなことを想像できた人はいません。

人間には思いもつかぬことです。だから、神の働き、聖霊の力を借りなければその秘儀を本当の意味で認識することができないと思うのです。

聖霊だけが人の心の奥底にその真意を示すことができる。十字架の秘儀は聖霊の働きがなければ理解できないと思います。

キリスト教の伝道はそれらのことを伝えることです。説得して納得させるのではありません。ただ伝えるだけです。イエスの教えを聞いた人がそれを受け入れるかどうかはその人の自由です。

ただ、信仰を持つのも神からくると言います。それに、信仰を持った人を、神は「わたしが選んだ」(マルコによる福音書第13章20節他)と言われていますから、何度も書きますが、神の選び、すなわち聖霊がその人に働かなければ信じることができません。

これらのことは、にわかには信じられないことだけど、十字架による死は歴史的事実です。聖書の言葉も否定できません。今まで理性的に聖書を否定した人はおそらく一人もいないだろうということです。

約2000年前から現在にかけてどれほどの人がそのことを信じて洗礼を受けてクリスチャンになったか、これも歴史的事実です。

本当かもしれないと思ったら、信じようと決心する、そうすれば、最初は疑心暗鬼でも信じることが出来るようになる。決心したらあとは聖霊が導いて下さる。決心しなかったら何も始まらない。

そういう分からない世界に飛び込むのには勇気がいりますが、一度の人生です、自分の人生を変えて見たかったら飛びこんでみる価値は十分にあると思います。

そして、今もその神の支配の時代は続いていますが、サタンが滅ぼされたわけではないので、現実の人間世界を見ればわかるように、サタンの働きにからくる罪とか病が無くなったわけではありません。

つまり、イエスはそのような世界にイエスを信じる者のワールドを造ろうとされているのです。それがイエスを信じる者の集まりであり、キリスト教会なのです。

サタンは今でも人間に悪い影響を及ぼしています。だから人間社会は、悪がはびこり、人々の心はすさみ、病で苦しみ、混沌としています。

さらにいえば、わたしは、猟奇殺人とか、普通の人間では理解できない陰湿な行為などもサタンの影響と考えています。そういう意味では、最近そのような事件が多いから、サタンが跋扈しているのでしょうね。

信じられないような事件を目の前にすると、そう思いませんか。神から離反して、神の誘いを無視して自分の意志で生きようとする人間は、神の守りがないのでサタンからの誘いにのりやすいといえるでしょう。

なぜならサタンの働きは巧みなので神から離反している人間には、何が善で何が悪か分からないと思うのです。

もちろん、サタンが誘いをかけやすい性格とか、心が病んでいて心に隙があるということもあると思います。人の性格とか心の問題は難しいですね。

ある本には、性格は遺伝と育った環境と肉体の影響を大きく受けるということです。別の機会にこのことを詳しく取り上げてみたいと思います。

この世は、神が支配されていると書きましたが、この世の悪は神がなされたことではありません。悪の根源は、神の愛から離反し、善悪の判断を、神の導きにも関わらず、神に委ねようともせず、自分で判断し行動することから生まれているのだと思います。

もちろん、神の影響から離れた人間は、サタンにとっては誘惑しやすい存在だと思います。

世界を見ると、人間は救いようのない地獄に陥っているようです。不法と不条理がはびこるのも、人間は、自分たちがどこから来てどこへ行くのか、自分たちは何者なのか、自分たちの存在する意味もわかっていないからではないでしょうか。

全ての人が、次の世があることを知れば、自分たちが造られた存在であることが分かれば、イエスを信じる者だけではなくすべての人に神の愛が満ちる。

そうすると、もっとこの世は住みやすくなると思うのです。みんなは孤独で不安なのです。イエスは、そういう世界の将来に希望を与えてくれます。イエスは次の世の復活につながる希望です。

動かしがたい証拠を持ってそのようなことを教えている宗教は、すべての宗教を調べたわけではありませんがキリスト教しかないと思います。

以下「十字架と救いについて(3)」に続きます。

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