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2009年1月 2日 (金)

真理について

真理とは、国語辞典によれば、まことの道理とあります。まことの道理とはなんだろう。何を持ってまことの道理というのでしょうか。なんだかよく分かりません。

聖書には、真理という言葉が多く出てきます。
たとえば、ヨハネによる福音書第14章6節、 「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 。

ヨハネによる福音書第14章17節「 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。・・・」。


この聖句にあるように、聖書において真理とは、イエスのことであり聖霊のことなのです。聖霊は神の霊だから神が真理だということです。

イエスと聖霊と神、これはまさにキリスト教の神、三位一体の神のことです。イエスが真理というのは、イエスの言葉が真理ということです。イエスの言葉は神の言葉であり聖書の言葉です。

神は不変です。神は創造主だから不変なのです。未来永劫変わらないものなのです。

わたしは、前にも書きましたが、物事の真理は、目に見えないものの中にあると思います。この世は何事も相対的です。何何があって何何があるのです。

悪があって善があるのです。矛盾に満ちたこの世に真理があるとはとても思えません。

聖書では、神は自分の名を、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(旧約聖書出エジプト記第3章14節。)といわれています。

名には意味がある。内容がある。神は名を通して、自分がどんな存在かを教えようとされたと思います。

その神は、創造されたのではなしに、実在と言える方ということです。有るという動詞は、過去形であり現在形であり未来形でもあります。

「有って有る者」つまり神は自ら永遠に存在し、死ぬことなく、無に帰することも無いかた、ということだと思います。

人間は時間の中に存在し、死ぬから有って無い者といえます。神は万物の中心で、絶対ですから神の前に対等に立てるものはありません。

神がこの世の全てです。だから真理なのです。真理とは変わらないものだからです。
変わらないものは、神であり、イエスの言葉(約束の)です。

イエスはわたしの言葉は滅びることがありません、と言われています。だから、イエスの言葉を信じれば、変わらないものの上に立脚することになるから、そこには平安があるのです。迫害にも負けない力が得られるのです。

誰が何と言っても、イエスの言葉はいったん発せられたら発せられたことは成就し、一度発せられたら、その言葉は変わりません。これほど安心の置ける約束の言葉はないと思います。

その真理の言葉は聖書に書いてあります。聖書の言葉が成就したことは、この2000年間のキリスト教の歴史が証明しています。

神の言葉は絶対です。神が、創造主が言葉を発すれば、被造物は100%従います。物質も変化します(新約聖書マルコによる福音書第11章12節あら22節)。この様にいえば、こうなるだろう、しかしならないかもしれない、はないのです。

それでは、聖書の言葉が真理なら、どうすればそれが真理だと言えるのでしょうか。証明できるのでしょうか。証明できれば、神の存在を信じることができるかもしれません。

そうですね、真理は理論では証明できません。経験でもない。両方とも不変ではないから当たり前です。人間は、理論と経験でしか物事を立証する手段ももっていませんから、人間には真理が何かを立証することはできないということです。

そうです、理論とか経験以上の確かな証明者は時間です。不変なことを証明しょうと思えば永遠に続く時間がそれを証明します。時がたてば、そのことが真理かどうかわかると思います。

旧約聖書からだと、この3000年以上の歴史の中で、聖書に書かれたことがすべて実際に実現していれば、書かれていることが変わらなければ、80年そこそこしか生きられない人間にとってそれは真理と言えるのではないでしょうか。

永遠に続くもの、永遠に不変なもの、それは神です。神を信じない人にとって真理とは何でしょうか。わたしにはわかりません。

宗教も道徳も科学的発明も、哲学も、主義主張もこの過去2000年間をみてもどれほど変わってきたか。1000年以上もそのままの姿で残っているものなどありません。

先にも書きましたが、キリスト教の福音、イエスの言葉いわゆる聖書の言葉だけは変わっていません。聖書は、この2000年間数多くの人に読まれて、また研究されてきましたが不変です。

イエスはいいます。新約聖書ヨハネによる福音書第10章35節「そして、聖書が廃れることはありえない。」
聖書の言葉は、約2000年前に書かれたものですが、いまでも読む者の心を動かし人生を変える力を持っています。つまり、生きているのです。

聖書の言葉は、この2000年間の苦闘、すなわち懐疑の目でみられ、多くのその時代の優秀な頭脳にたたかれてきましたが、現在なお、絶大な勢力をもって人類の良心を支配し、個人の人生に、思想に、人類の歴史に大きな影響を与えつづけているのは確かです。

今でも聖書の言葉は生きているといえます。おそらくこれからもずっと。人類の歴史が続く限り影響を与え続けるでしょう。

この2000年間、多くの宗教、思想、道徳などが生まれましたがほとんどは廃れてしまいました。今日なお希望にあふれた未来を持っているのは、キリスト教の伝える福音が書かれた聖書の言葉しかないと言っても過言ではないかと思います。

そう、教祖イエスはその微力、なぜなら、ユダヤの一地方に生まれて、たったの三年間、福音を延べ伝えたが、受け入れられずに迫害を受け十字架上で処刑されたのです。

たった三年という短い生涯で語られた言葉が、死後2000年を経ているのにいまだに人類の歴史に生き生きと脈づいているのです。そんな言葉を残した教祖はいますか。お金儲けに走る教祖は多いですけれども。

イエス・キリストの福音が真理なのは、信徒の経験とか信仰によるのではなく、時間がそれを証明するのです。福音が真理であることを証明するには非常に長い時と試練と、忍耐が必要なのです。

キリスト教は、一時的な流行の思想ではなく、いつまででも忘れ去れることのない光を放ち続ける宗教です。キリストの福音は長き時を経るほど本来持っている輝きを増します。

そこに命があるからです。そこには平安と喜びがあるからです。そこには次の世への希望があるからです。それらを真理と言わなくて何が真理でしょうか。

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