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2009年1月 7日 (水)

ストレスからの解放

人は、自分の力ではどうしょうも出来ない自体に直面した時、あるいは物事が自分の思ったとおりにならない状況に追いこまれたとき、ストレス過剰となり心のバランスを崩し、閉塞状況に人の心は強い拒絶反応を起します。

そういう身体を壊すほどのストレスを感じるのは、自分の人生はもともと「あなたが支配していない」という事実に気づいていないからではないだろうか。

あなたがあなたの人生を支配しているのならストレスなんて起こりようがないと思うのです。あなたの思うようにならないからストレスを感じるといえます。


わたしが、わたしがと何事も自分を中心に物事を考える責任感の強い真面目人間ほど心の病になりやすいといいますが、合い通じるところがあるように思います。

自分では理解できないことや、思ったとおりにならないことなど人生には山ほどあります。

だから現世を生きている限り何らかのストレスからは逃れられません。あなたのストレスは、あなたの人生の支配者はあなたではないからではなかろうか。

ひょっとしたら、自分の人生の支配者は別におられるのではと思いませんか。

考え方を百八十度回転させて、わたしの人生の支配者は創造主である神様。わたしは創造主である神様に意味と目的をもって造られた存在。

わたしはその意味と目的にそって生きていないからストレスを感じるのではなかろうか・・・と考え方を変えてみたらどうでしょうか。

どうしてよいか分からないことが起こったら、「この出来事の御心はどこにあるのですか」と神様に問えばどうだろう。

ストレスは、自分の願っていない結果や現実を受け入れたくないという心理的な抵抗によってもたらされる。こうあってほしくないという心理的負担です。

これは、ストレスというものは、存在するものでなく感じ方の問題、感じるときのおかれた状況の問題であることを示しています。

だからストレスに対応する具体的方法は、神様は人間の思いとか行為に働かれるから、まず、願っていない最悪の結果を受け入れる覚悟を決め、現実を直視し、最悪が起った場合の対策を練り、結果は神様に委ねたらどうであろうか。

そんなに簡単に最悪を覚悟して割り切ることができるものかと言われそうですが、わたしは訓練、いやイエス様を信頼する信仰を持てば出来るのではと思います。

最悪の事態を直視して、それを受け入れる覚悟が出来たら、事実を拒否したいという心理的抵抗からは一瞬にして解放される。だから逆に冷静になれる。

痛みや苦しみがなくなるということではないが、ストレスに押しつぶされるという重圧から解放され、心が守られると思います。冷静になれば対策も立てられます。

そして最終的な解決は神様を信頼して神様に委ねてしまう。人力を尽くして天命を待つ、と云うことだと思います。

あなたは何によって造られましたか、両親ではありません。両親は愛の営みだけです。両親があなたの設計図を片手にあなたを組み立てたという事実はありません。

受精卵になった瞬間にあなたのDNAは整然と配列されている。DNAの四つの塩基を新聞大の文字にすれば、その情報量は、たった一つの細胞の中に朝刊五十年分のデーターになるということです。

これが整然と秩序正しく配列されている。これを書き込んだのは、あなたの両親ではなくあなた自身でもない。ましてや偶然の産物でもない。整然と秩序は偶然からは生まれません。

これは、あなたが自分ではない自分を超えた力によって、意味と目的をもって造られたのだということを顕していると思います。

この宇宙に存在するもので、意味と目的のないものは一つもないと思います。わたしは、この大前提を否定し、証明した人は古今東西1人もいないと思います。

あなたの知らないこと、あなたにはどうしょうもないこと、それらを支配しているのはあなたではなく個人をはるかに超えた偉大な存在。

あなたを創造した神様。神様はすべてを働かせて益としてくださる方。この方を知ることによりあなたはストレスから解放される。

これはストレスを自力で解決しょうとするのではなく、神という他力に委ねるということ。そうです。神様の前に開き直ればよいのです。

あなたがあなたの人生を創造主である神に委ねるとき、それは人生に於いて、あなたにとって何が最善かを知っておられる創造主である神様の御心に同意することになります。

心配という敵はストレスを作ります。これほどまでに人生を台無しにする力を持っているものはほかにはありません。心配は心を壊し、身体を壊し、造り主の願いもつぶしてしまいます。

心がつぶれていく時、それはその人が心配や恐れに支配されてしまったときです。父なる神の御心に沿った生き方をすると、心が平安と喜びと感謝で満たされ、究極の希望、つまり来世への希望をもてる。そうなればその人はどんな問題や試練も乗り越えられる。

もちろん、この平安とか歓びと言うものは神様の祝福ですから、周りがどのような状態であっても自分は平安で歓んでいることができるのです。

人間関係において得られる平安とか歓びは、相手の状態に一喜一憂して不安定です。

心配というものは、取りこし苦労が殆どと聞きます。一度心配し始めたらそれがたとえ二十年後のことであろうとも過去のことであろうと同じです。

そして、心配はいまそこにある事実と無関係で、心配はその人の体と心を蝕みます。

聖書にはこのような聖句があります。新約聖書マタイによる福音書第6章25節、「だから、言っておく、自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。

命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。

だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるではないか。・・だれが思い悩んだからといって、寿命を僅かでも延ばすことが出来ようか。」

あなたは偉大な創造主である神様が造られた鳥や獣より価値ある存在。鳥さえ養われているなら、鳥より価値があるあなたを神様が大切にしてくださるのは当たり前。

あなたの人生の土台は、あなたの存在は創造主である神様に支えられ生かされている神様の意志である。

だからどんなに難しいという局面に見舞われても無意味に朽ち果てていくということは絶対にない。

なぜなら創造主である神様はあなたを目的と意志を持って創造されたのだから。万一この世で報われなくても次の世に希望を持てばよい。

もし、子供があなたに「猫は殺しても良いのに、人を殺してはいけないのはなぜ」と聞かれたらどのように応えますか。

このような質問は、創造主である神様がおられること、人間を含めて生物は皆、その方に生かされている存在だという宗教感覚が希薄だからではと思いませんか。

何よりも先に、子供には、創造主がおられて、あなたは創造主である神様によって、生きているのではなく生かされている、だから人間は誰でも神様の下に平等。

もちろん猫も人間同様神様に造られたもの。あなたが造ったあなたの所有物ではない。だからあなたが猫の命を好き勝手にしてもよいという権利は何処にもない。ということを教えるべきだと思いませんか。

今の世の中は人間中心主義。人間は、自分たちの欲望のままに生きとし生けるもの全世界を支配している。つまり人間が神になっている。

近代科学の発達は、人間中心、人間は神様になった。近代科学は西欧に於いて神を求めるために生まれたのに何処で間違ったのか、余りにも成功しすぎたために人間は傲慢になり神になってしまった。

環境破壊の問題、公害問題というものも人間中心、経済中心による限りない欲望から来ています。人間が神の座につくのは大罪であります。

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