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2008年4月 1日 (火)

娘の病気

天に召されてから早くも十日を過ぎました。いまだに娘の使用していたものをみると目に涙が浮かびます。

不思議ですね、わたしはすでに両親とも見送りましたが、そのときは少しは涙もでましたが、その悲しみは余り後に尾を引きませんでした。弱った親の顔を見るのがつらく、ある意味ほっとした面もありました。

両親とも歳をとっていましたので、覚悟ができていたからでしょう。娘との関係は義理ではありますが、それ故に、また娘が病もちであるが故にその思うところは深く強烈です。
余りにかわいそうで、生きているときにもう少しやさしくしてやればよかったという思いが募ります。
  


狭い世界で生きておりました。まだ病気が軽いときに、少しの期間バイトで働いただけでしたから、知り合いも少なく、友だちも、友人といえるのは一人だけでした。

病のために人間関係をうまく築くことができなかったのです。
娘は、内弁慶で、他人の意見に影響されやすくて繊細なやさしい子でした。親離れもできずに母親に甘えてばかりいました。

それもやはり病と、次から次に訪れる不幸な出来事から、何事にも自信を持つこともできず、外へ飛び立つこともできず、世間からどんどん離れていき、希望も失い、新しいことに挑戦する気力も失い、もう気持ちが萎縮してしまっていたのでしょうね。

当然心も荒んできます。社会に出ていないので、やはり年齢を考えると未熟なところも残っていました。

心の病というのは、娘の場合は、何かをしょうと思っても、身体が、気持ちが付いていかないのです。

おそらくその原因は、娘の日記を読んでいると、毎日、いや時間ごとに気持ちが変わっているのがよくわかるので、おそらくそれが原因だと思うのです。  

たとえば何か習い事をしょうと計画を立てても一回か二回行けばやめてしまうのです。何事もその調子です。そのような自分をみて、また将来のことを考えるとストレスがたまる。そうすると、過食とか拒食、ときには自虐行為とか親への暴力などでストレスを解消する。

また、ストレスがその人の許容量を超えると記憶喪失も発症するということです。娘はストレスに対する許容量が非常に小さかったと思います。

心の健康な人間なら、ストレスを解消する方法はいくらでもあります。心が病んでいればそれもできないのです。そうすると身体も無理をするので弱ってくる。

世間に飛びだすこともできなくなり、自分に閉じこもってしまう。ますます気持ちを紛らわす方法がなくなり、悪循環に陥るのです。

他人は目に見える病には同情を示しますが、目に見えない病は分かりにくく関心を持たない。世間には、心の病のために人知れず苦しんでいる人がきっと多いと思います。

人の前にその人がでるときは、元気な時ですから、人はその人の病に気がつかないのですね。また、そのような人は、他人の前では一生懸命元気な振りをするものです。

娘の場合はてんかん以外に人格障害と診断されていましたが、この障害は、お医者さんの説明では、病気と認めている方もいればいない方もいるということです。

病気であるかどうかは程度の問題でしょうが、治療方法もありません。対処療法だけです。

人の気質は良い気質も悪い気質もありますが、人格障害という病が悪い気質を極端に表に出すということもあるということです。

最初わたしたちは、娘の人格障害を病とは思っていなかったのです。またそのような病気があることも知りませんでした。

おそらく、娘も昨年の十二月までは、自分がそのような病気をもっているとは、思っていなかったと思います。

人格障害というのは、娘の場合、人間関係を築くことができないのです。だから。仕事もできない、友だちもできない。家に、自分に閉じこもるしかないのです。

娘はもともとてんかんだけでしたが、人格障害を発症してからいろいろな病気が発症しています。短期記憶障害、不安神経症、依存症、摂食障害、抑うつとかいろいろです。

それから十種類以上の薬を毎食後に服用していました。この薬の副作用も大変でした。

娘が本当に弱ってきたのは昨年の半ばころからと思います。特に今年になり短期記憶障害が急速に進み毎日のように発症していました。不安で外へ出るのが困難な状態になっていました。

短期記憶障害というのは、たとえば買い物に行きます。行ったところで突然記憶を失い、わたしは誰、ここはどこ、となるわけです。

記憶が戻るまで動きが取れない。小さな100円均一ショップで四時間もうろうろしていたこともありました。時間感覚が無くなるのです。もとに戻るのには少し時間がかかるのです。一人でいることにおびえていました。

娘とのコミニュケーシヨンは本当に大変でした。わたしたちは娘から話しかけてきたときに会話をするというか答えるとい方法をとりました。

なぜなら話しかけてくるときは気分の、体調の良い時だからです。こちらから話しかけることはできるだけ控えるようにしました。

なぜなら、もしその時に気分が、体調が悪ければ、何とはなしに言った言葉が娘を傷つけることがよくあるのです。

心が病んでいる娘と話をするには、慎重に言葉を選ばなければならないからです。夫婦間の会話の内容にも気をつけなければいけないこともたびたびでした。

このたびの娘のことで、わたしは自分に巣食う罪なる存在に思い知らされました。わたしたちが、人との関係をもつとき、どうしても自我が表にでてきます。

それにこだわると、事の真実が見えなくなる。人間というのは、他人の欠点や失敗にはすぐ気がつき、他人にはなかなか寛容にはなれず、心ならずも他人を裁いてしまいます。口には出さなくても心の中で裁いていることも往々にしてあります。

自我は、家族の間でも夫婦の間でも、あらゆる人間関係においても不和のもととなります。わたしたち家族は、娘と同居を始めてからの約二年の期間は戦いの連続でした。忍耐と愛が試されたと思います。

わたしたちは、自分の罪や欠点には、なかなか、気づかない、いや気づいていても認めようとしない弱さを持っています。

なぜもっと相手のことを考えようとしないのか。なぜ自分の価値判断基準で相手を裁いてしまうのか。なぜ相手の立場に立って物を見ることができないのか。

なぜ隣人を、弱者を自分自身を愛するように愛せないのか。そのような愛で愛そうと思ってもなぜ反対のことをしたり言ったりしてしまうのか。
  
聖書はそれを罪といい、神から離反したことが原因だと述べています。イエスは、あなたの助けを必要としている人、つまり隣人を愛しなさいといわれると同時に人を赦しなさいと言われています。

あなたたちはイエスの十字架で罪が赦されたのだからあなたたちも罪ある人を赦しなさいと言われています。

それができれば自然と隣人を、あるいは敵をも愛することができるのでしょう。慈悲の心を持つように求めておられます。

こうして自分自身をみると、わたしはイエスを信じる者としてまだまだ未熟者であることが思い知らされます。
わたしは投稿文を書くことに自分の思いをぶつけています。

やがて娘のことが世間から忘れ去られる時が来ても、この時の思いを記録として残しておきたいのです。なぜかそうせざるをえないのです。そして、できるだけ多くの人に、このような子が世間の片隅で生きていたことを知ってほしいのです。

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コメント

はじめまして。真理とはなにか?で検索し、ここへたどり着きました。私もクリスチャン(プロテスタント)で息子を12歳で15年前に亡くしています。
私自身もうつ病があり、なかなか社会復帰もできずにいますが、息子の死から15年、やっと就労支援にたどりつきました。もう50半ばです。
私は離婚もしていますので今はもうひとりです。
息子を亡くし(病気)死ぬことしか考えていませんでしたが、息子の死後、4年たち洗礼を受けました。
今は神様のみ声に従えるようになりたいと祈りつつ、少しでも精神的成長ができるようなんとか生きています。

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