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2007年7月11日 (水)

マグロの話から環境破壊

毎日雨が降ります。気分が暗くなります。とくに、わたくし、明日から九州方面に二泊三日で旅行します。どうなりますことやら。本日は、マグロの話から環境破壊、について一言。

今朝の新聞で、マグロ乱獲の話が出ていました。「日本がマグロをスシヤサシミにして、世界中のマグロを食べ尽くす」、と日本はよく悪口を言われました。

ところが、マグロを食べているのは今や世界的な傾向ということです。その結果、マグロはいまや金の卵だということです。

地中海のマグロが、かつてないほど劇的に減っているので、今年、EUと大西洋マグロ類保存国際委員会が合意したところでは、地中海を含む東大西洋の漁獲量を従来の約10%減の2万9500トンに決め、漁獲可能なマグロの体重は、30キロ以上で、漁獲期限は6月30日までと決定された。

ところが、すでに大西洋のマグロは捕りつくされ、いまや地中海に漁場は移動しているとのこと。対策は後手だし、普通は500キロにもなるマグロを30キロ以下禁止にしても意味がないと言う。

実効性の無い取り決めです。いったい、人間の感覚はどうなっているのでしょうか。やる気があるのでしょうか。

おそらく利益優先の力学が働いているのでしょう。日本や欧米に輸出しようと、ハイテク船団が大量捕獲しているためだといわれています。

クロマグロの激減は、世界の漁業が直面するあらゆる問題を象徴しています。

新しい技術の登場で、漁獲能力は飛躍的に増大し、多国籍企業が張りめぐらせる複雑なネットワークは、漁業の管理や法規制などお構いなしに、金もうけに走っている。

そして消費者は、自分たちが買う魚のことにつきあまりにも無関心です。

神様がこの地球を創造するときに、地球上の生態系を自己完結型に、しかも絶妙のバランスでもって仕組まれました。

いまも創造主である神様は、その仕組みを壊れないように支えておられます。被造物として、あまりに節操のない、謙虚さのない、傲慢な人間を見て、創造主である神様はどのように考えておられるのでしょうか。

許容される範囲があるはずです。

地球の生態系の秩序の崩れを招いているのは、なにもマグロだけではありませんが、自然治癒力を超えた、一つの生態系の、秩序の崩れの影響が、いつ何処に出てくるか誰にも分かりません。

しかし必ずでてくる、それほど地球上の生態系は精密で複雑に作られていると思います。

生態系の秩序が崩れるほどのマグロの乱獲を、自然環境の破壊を、聖書では、人間の自己中心的本性からくる傲慢と言います。

フロンガスの放出から来るオゾン層の破壊の問題も同じです。動植物の、種の絶滅の問題も同様です。あらゆる面で地球は傷んでいます。

人間と言う動物は、生きていく上で必要以上の物を獲る、乱獲するところに問題があると思います。

人間以外の動物は、生きていくに必要な範囲でしか、猟をしないと聞いております。乱獲、浪費は人間の傲慢のなせることだといえるでしょう。

生態系は、人間が生きていく上で、必要な範囲であれば自然治癒力で回復するように出来ているはずです。

自然の中に、生態系の秩序とか食物連鎖など、自然には色々な顔があります。自然とはいったい何だろうかと、あらためて考えてみたくなりました。

自然の対局は人工ですが、人工も人間が何かを創り出したのではなく元々自然界に存在しているものを、自分に都合よくいじくりまわしているに過ぎないと私の目には映るのですが、いかがでしょうか。

多種多様ないのちで満ちているこの地球の環境に、自然を感じることが多いと思います。月の姿も自然でしょうが、そこには、自然を意識しません。

地球には、多種多様な命が存在します。わたしは、それらいのちのつながりのなかに自分も居るという感覚が好きです。生きとし生けるものと共に生かされているという感覚です。

そこに、食物連鎖の残酷な世界があっても、美があるのです。創造主である神様の意思、神様の秩序があるのです。

そう言う意味で、神様の姿は、秩序であり美だと思います。自然の破壊は、その創造主である神様の意思に、神様の秩序に挑戦することだと思うのです。

いのちとは互いに連関し、時には依存し合って共存するものだと考えていますし、自然界では食物連鎖の一環として殺し殺されるのも日常的なできごとです。

このような、自然の摂理は、人間の考える善とか悪、好きとか嫌い、残酷、きれいとか汚いなどとは無関係です。

つまり、人間の秩序とは別の世界にありながら、人間とはもちつもたれつの関係にあると思うのです。そこに創造主である神の秩序があり意思が働いていると思うのです。

神様がこの地球の創造を完成されたときに、見よ、それはきわめて良かった。と絶賛されたように。

自然破壊は、神様の秩序への挑戦です。創造主の意思に歯向かうことは傲慢です。傲慢でなければ、利益の名のもとに自然を破壊するという、狂った発想も浮かばないでしょう。

そう言う人たちは、自然を見ながらお金を見ているのです。自然の中に、神様を見たらとても恐ろしくてできないことです。

乱獲を規制しても、一国だけでは効果に疑問がある。なにより全世界で取り組む問題でありますが、各国がいわゆる国益を最優先していては、地球が破滅するまで人間は止められないのではなかろうか。

いや、神様の怒りが満ちて、もっと早く何らかの大きな制裁が人間に下るようにも思います。これらのことは、人間の傲慢からくること、傲慢は神様が最も忌み嫌われる罪であります。

今日の聖句、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」旧約聖書創世記第1章28節。

「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、全てあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地に獣、空の鳥、地を這うものなど、全て命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」旧約聖書創世記第1章29節。

この聖句は、神様が人間を創造したときに、人間を祝福して言われた言葉です。この地球上の全ての生き物の支配権を人間に委ねられたのです。

そして最後に、神様はお造りになった全てのものをご覧になって、「見よ、それはきわめて良かった」と言われた。

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