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2007年6月 1日 (金)

創造論とは(宇宙)

二回にわたって、創造論について投稿します。聞きなれない言葉だと思いますが、このような学問もあるのです。参考に読んでください。

創造論をご存知ですか。創造論(創造科学)とは、世界とすべての生物は進化によってではなく、聖書に記されたような仕方で 特別に創造されて出現したと考えたほうが、様々の科学的事実をよく説明できるとする学説であります。

この宇宙には創造者がいるという考え方です。以下に一般に通説とされていることに根拠を求め、まとめてみました。全てがわたしの専門外ですからわたしにはその知識がありません。でもなるほどと納得できることばかりです。
 

この宇宙はビッグバンにより始まったと言われています。ならば最初の一撃は誰がしたのか、という問題になります。それで発見された当時の新聞には、「天文学者は、神を発見した」という見出しで書かれたということです。

私たちの住む宇宙は、なぜ知的生命のいる宇宙であって、なぜ物質だけの宇宙にならなかったのか。

これについて多くの科学者は最近、宇宙は知的生命の存在しうる宇宙となるように、誕生の際からあらかじめ「プログラムされていた」と考えるようになっている、ということです。

どういうことかというと、たとえば「自然定数」というものに着目すると、私たちの宇宙には、たとえば光速、電子の質量、重力定数、プランク定数といった、ある「決まった値」があります。

これが「なぜその値」なのかを考えると、それはあたかも「知的生命を存在させるべくその値をとった」としか考えられないほど、絶妙にコントロールされている、ということなのです。

たとえば京都大学の佐藤文隆教授によると、電子の質量がわずか1%違っただけでも、人間はできないという。

1%くらい違ったっていいじゃないか、と思いたくなるが、たった1%でもダメなのです。

それほどこの宇宙は、絶妙にコントロールされて「知的生命のいる宇宙」となっているということです。

また、中性子の質量がわずかに0.1%違っただけでも生命はできない、という研究結果も出ています。もしそれが0.1%多ければ、宇宙の中に生命が必要とする重元素(炭素、酸素、カルシウム、鉄など)が形成されない。

反対に0.1%少なければ、宇宙のすべての星がすぐ中性子星またはブラック・ホールになって、崩れてしまうといわれています。いずれにしても、生命は誕生し得ないのです。

さらに原子核内の力-「核力」には、「強い核力」と「弱い核力」があることが知られている。もし「強い核力」の定数が2%違っただけでも生命はできない、という研究結果が出ています。

「弱い核力」もそうである。それが数%違っただけでも、生命はできない。そのほか重力定数、電磁力定数、光速等がほんの少し違っただけでも生命はできない、ということがわかっているということです。

一方、ヘリウム、べリリウム、炭素、酸素など核の基底状態のエネルギー・レベルも、驚くほど微調整されているということです。それがわずか4%違っただけでも、生命体に必要な炭素と酸素が生じ得ないことになるということです。

現在の宇宙は膨張しつつあることが知られています。この膨張率も、絶妙にコントロールされている。

それがもしほんのわずか・・・・アラン・グス博士の計算によれば10の55乗分の1・・・・大きければ、銀河系も星も形成されなかったであろうという。

反対に同じ割合小さければ、太陽のような星が形成される前に宇宙が崩れ落ちてしまうシナリオとなった。いずれにしてもそのような宇宙は、「知的生命のいる宇宙とはならなかったであろう。ほかにも多くの研究結果が出ているということです。

宇宙の何をとっても、それが絶妙にコントロールされ、微調整されている事実が浮かび上がってきた。つまり宇宙は細かい個々のこと、および総合的なことの両面において、神がかり的なバランスのもとに造られている。

無秩序を測る量として、エントロピーというのがありますね。これは宇宙のある場所で秩序が集中されるとき、それは他のどこかで無秩序が増加した代償であるということ。エントロピーが増加することは無秩序状態が増加することになる。

この宇宙は、無秩序に向かっているということです。無秩序に向かうときは、エネルギーは要らないが、秩序あるものを造る場合は、エネルギーがいるということになる。

これは何となく、形あるものは壊れる、ということでわかります。人間を創造するのにも、体の秩序を維持するにもエネルギーが要る。

全体の収支を書き出せば、常に無秩序が勝つ、ということですね。こういう意味で、人間という複雑な物体は、エントロピーが非常に小さいということになります。

ということは、形あるものが崩れて無秩序に向かうのが自然(逆は不自然)だから、秩序あるものを造るには、やはり誰かが意志を持ってエネルギーを使って作らなければ出来ないことになる。

混沌というか無秩序の中から秩序あるものが、造ろうとする意志も無く、エネルギーも使わずに自然に出来るなんて、わたしには考えられない。

いま学校で教えている、日本では大勢を占めている進化論は、生命体でも単純なものから複雑なものへ進化して今の状態になったといっているが、

しかし、エントロピーの法則に反して、どうして複雑な秩序が出来るのだろうか。わたしにはどうしても理解できない。創造主である神様なくては語れない。

最後に、わたしには別世界でありますが、日本の科学者の方はほとんど進化論者だと思いますが、もし科学の世界で自分の力に余る、

自分の能力では理解できない現象に出会ったときに、不思議とか神秘とか恐れの感情は持たれないのでしょうか、自然に神に祈るような感情を持たれないのでしょうか。

たとえば、神を認めない医学者の方が自分の子供が重病にかかり死にかけたときに、なすすべがなくわらにもすがりたいときに、死にゆくわが子を見ながら、神、いや大いなる存在と言い換えてもよいのですが、助けを求めることはないのでしょうか。わたしは、人間は宗教的動物だと思っています。

何か人間を超える超越的存在を拝まなければおられない存在だと思うのです。間違っていますか。でも、科学の力で、生命を創造できたなら、無から有を造ることができたなら別ですが。

なお、まだ消化不良ですが、別に「有神論的進化論」を投稿しています。

最後に参考になるサイトを紹介します。

http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/index.htm

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