創造論とは(人間)
さて次は、宇宙に続いて人間を見てみたいと思いますが、その前に、現在の日本では、一般社会も学校教育も進化論を前提として何事も説明されています。
つまり学校で習った、アメーバーが進化して人間になったという、あれです。そして、アメーバーから人間への進化は突然変異だと説明されています。百歩譲ってこれらを認めたとしても、
最初のアメーバーの命は何処からきたのでしょうか、進化させたのは誰でしょうか。また突然変異の結果は進化ではなくて退化ではなかったのではないのでしょうか。
学校で習ったことを、いまあらためて考えてみると理屈の合わない不思議なことばかりです。ここでは創造論を説明します。創造論とは、この宇宙も人間も全て創造主である神様が造られたという考え方です。
ただ、進化論を認めた創造論をもっと勉強してみたいと思っています。とくに創世記1章と2章を一字一句文字どおりに解釈した、「若い地球の創造論」の問題についてです。
その結果は、また投稿させてもらいます。進化論は創造論と共存できるという考え方はなかなか説得力ある考え方だと思っています。
わたしたち人間の体は、約80%は水で、あとはタンパク質や、カルシウムなどの物質でできている。水は、水素と酸素から成っている。
またタンパク質は炭素、水素、窒素、酸素、硫黄から成っている。人間の体には、ほかにもナトリウム、カリウム、マグネシウム、塩素、リン、また微量の鉄、銅、マンガン、ヨウ素、亜鉛、コバルト、フッ素などの物質が含まれている。
人間の体は、これらの元素が、有機的に結合してでき上がったものである。これらの元素は、すべて地球の地殻(地球の一番外側の層)中に見られるもので、ごくありふれた元素である。
つまり人体を構成している元素は、すべて「土」の中に含まれている。聖書によれば、最初の人間アダムは、「土地のちり」から造られたと書かれている。「神である主は、土地のちりで人を形つくり…」(旧約聖書創世記:2.7)
この聖書の記述は、人体を構成している元素がすべて「土」に含まれていることを考えれば、きわめて当を得ているといわれています。人体は、構成している元素だけを考えれば「土」に等しいのです。
神は、「土地のちり」の中の様々な元素という材料を用いて、それを有機的に構成し、人体という高度な機能を備えた生命体に仕立てた、ということです。
このように人体は、もともとは「土」に等しい。実際、人間は死ぬと、肉体は朽ちて、やがて土に帰る。
聖書には、「ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」(旧約聖書創世記:3.19)という聖書の言葉通りです。
肉体は死とともに腐敗し始め、分解作用によって、土に帰る。アダムの肉体の創造は、おそらくこの分解作用と全く逆の過程を経て、なされたに違いない。
しかしアダムの肉体が「土」から造られたとき、彼はまだ、いわば「人形」或いはただの「物体」にすぎなかった。
彼にはまだ、「生命」が吹きこまれていなかったからである。そこで神は、「その鼻にいのちの息を吹き込まれた」(旧約聖書創世記:2.7)
「いのちの息」とは「霊」のことです。(旧約聖書イザヤ書:57.16)神は鼻から「いのちの息を吹き込まれ」、霊が体に宿るようにされた。「霊」は人間の生命活動・精神活動の主体である。人間に宿っている「霊」に、人間の生命がある。
もし肉体を車にたとえるなら、「霊」は、運転手にあたる。あるいは車を動かしているエネルギーにあたる。人間の内にあって生命活動を営み、生命現象を引き起こしているのは、目に見えない「霊」だということです。
人間の知・情・意(知性・心情・意志)の活動を営ませているのも、「霊」である。決して脳の物質自体が、心や精神を生み出しているわけではない。
霊は、ある意味で空気に似ている。空気がある所に、風や雨などの気象現象がある。同様に、心や思いといった精神現象が存在するのは、そこに目に見えない無形の「霊」という実体があるからです。
霊が脳において活動するために、それが精神現象となって表れる。
人間の肉体のうちに無形の実体が宿っているに違いないことは、今では多くの科学者も認めるようになってきているということです。
たとえば1963年にノーベル賞を受賞したジョン・エックルズ卿は、公然と唯物論的な考えに挑戦し、人間は肉体組織と無形の霊の両方からなる、と主張した。そしてこう述べた。
「もし人間の自己の独自性が、遺伝法則から説明できないとしたら、また経験から由来するものでもないとしたら、これは一体何から生ずるのだろう。私の答えはこうである。それは神の創造による。それぞれの自我は、神の創造なのである」。
アメリカなどでは、今や創造論者と呼ばれる科学者たちの数が無視できないほどに増えたために、創造論に立つ科学者と進化論に立つ科学者との間に熱い論戦が交わされ、それを一般の人々が見るというテレ ビ番組まで登場している。
三大テレビネットワーク上でも行なわれている。 そして番組を見た人々のうち非常に多くの人が、自分たちも創造論者になる、という現象が起きているということです。
番組を見たある人は、「どうも創造論者のほうに分があるようだ」 と感想をもらした。創造論者は堂々と論戦を張っているのです。
創造論者はまた各地で、一般の人々向けのセミナーも開いている。そのためもあって一般の人々の間にも、もはや進化論を信じるのをやめ、創造論を支持するようになった人々が増えているということです。
わたしはどうしても進化論を信じることができない。アメーバーが人間になったなんてどうしたら信じられるのだろう。らせん階段状の遺伝情報が自然に出来るのだろうか。
人間の目に見えない一粒の細胞には、驚くほどの情報が組み込まれている。人間は単細胞生物が進化して、今のような複雑な人間になったと聞きますが、単細胞生物は細胞一つで生き残るための機能をすべて備えています。
しかし、人間の細胞は一つでは生き残れません。これを進化と言えるのでしょうか。このようなことを書けば、人間の細胞も一つの細胞で体の全機能を賄える機能を持っているが、
体が複雑化するに際し、細胞それぞれに役目を持たせて複雑な体を形成するようになったと言われそうですが、それにしても、そのためには一定の法則があり秩序がそこにあると思うのです。法則とか秩序は何ものかの介入がなくて自然にできるものでしょうか。
最近、進化を変化と言い換えていると聞きますが、それにしても法則と秩序はどこからきたのでしょうか。
偉大な科学者がなぜこんなことを信じているのかわからない。わたしの感性から考えてもどうしても進化論は納得できない。
ある科学者の「進化論と創造論」の著書を読んだところ、その中で著者は、科学者は、進化論の矛盾はわかっているが、進化論という信仰に陥っていると記載していた。
だからどのような創造論を裏付ける証拠が出てきても途方も無い時間を持ち出して進化論に結びつけようとしている、とかかれていた。
なお、これだけは書いておきたい。進化論は、進化の過程を説明しますが、命がどこから来たかは説明しません。まだ消化不良ですが、別に「有神論的進化論」を投稿しています。
最後に、創造論についての参考になるサイトを紹介しておきます。
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