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2007年5月15日 (火)

涙が流れるとき

今日は、最高の釣り日和でした。早速近くの管理釣り場に行って来ました。釣果23枚。まあまあというところですか。

釣りは本当にストレス解消に最高ですね。今週は、忙しい。明後日ころには、知人の税理士に会いに行く、今度の相談事は、取引先の売上金の取り立てということですが、どうなるのかな。さて本日の投稿は、「涙が流れるとき」です。

つらいときや悲しいとき、悔しいとき、また逆にうれしいときや感動したときに、自然に流れる涙。もらい泣きしたときの涙もありますね。 


感情の揺れ動きによって涙腺が緩み、涙が流れると、不思議とすーっと気持ちが落ち着いてくるように感じませんか?自分では泣きたいとは思わないのに自然に涙が出るときもある。

自分の意志ではコントロールできないものなのでしょうね。人間のもつ生理的現象の一つでしょうか。
涙もきっと必要があって出るのでしょうね。涙が出て心が洗われる場合がある。悔しさが吹っ切れたり、心の疲れが癒される場合もある。

そのような経験は、誰でもあると思います。親が、恋人が亡くなって、悲しくて三日三晩泣いたが、涙も枯れてしまったら、後は吹っ切れて生きる元気が出てきた。

ガンだと宣告されて、もう自分の人生が終わりだと思い、三日三晩人知れず泣いたが、三日目にガンと戦う元気が出てきた。このような話、聞いたことがありますね。

実はこの涙、自律神経と大きな関係があるということです。細かいことは知りませんが、ひとしきり涙を流した後は、気持ちがすっきりします。

これは、涙といっしょに流れ出る物質、つまり涙といっしょにストレス物質が流れ出る!?といわれています。神経反応を緩和する脳内モルヒネの一種も含まれていることが確認されているということです。

どうやら涙は、ストレス物質を排出する重要な役目を果たしているようです。泣いたあとに、すっきりするのもこのためなのでしょう。

やはり、泣きたいときは思いっきり泣くことが、心にとってもとても大切なのですね。人間の身体の防衛反応といいますか凄いですね。

ちょっと話が違うかもしれませんが、イエスも涙を流されました。聖書に記載された涙を流された場面は三箇所で、一つ目は、人間の罪の贖いの代価が余りにも大きいからその罪を背負う苦しみの涙を流された。

(新約聖書ヘブライ人への手紙5章7節)「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、自分を救う力ある方に、祈りと願いをささげ」。

二つ目は、救いが用意されているのに滅びに向かっているエルサレムに憐れみの涙を流された。(新約聖書ルカによる福音書19章41節)「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた」。

三つ目は、友人が死んだため愛する者が泣いているから同情の涙を流された。(新約聖書ヨハネによる福音書11章33節)「イエスは、彼女が泣き、一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して・・イエスは涙を流された」

内村鑑三の言葉を紹介します。「人生には、言葉で到底あらわすことの出来ない、悲しみや嘆きがある。そのとき、涙がそれを表す。動物に涙は無い。涙は言葉とともに神から人間に与えられたものである。

イエスが涙を流されたということは、イエスが神であるとともに人であるということである」。

そうそう、わたしにもこんな経験があります。牧師である榎本先生の本を読んでいたときですが、先生が罪の悔い改めのため手紙を書いておられる箇所で、わたしはなんだか嗚咽がこみ上げてきて、涙を流しながら、「主よ、主よ、私の罪をお許しください」、と何度も叫んでいました。

わたしの過去の罪に対しての悔い改めの祈りに自然に導かれていました。本当に親の死に目にしか泣いたことがないわたしが、嗚咽をもって泣いてしまいました。これは何の涙でしょうか。

キリストイ教では悔い改めの涙はその人の罪を洗い流すといいます。神様の恵みと感謝します。

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