生きとし生けるもの
ブログ投稿をはじめて二ヶ月。何時まで続けることが出来るのだろう。できれば生涯続けたいと思います。種は尽きるのかな、いやきっと尽きないでしょうね。
今は過去ログを増やすためにハイペースで投稿をしていますが、そのうち落ち着くことになるのでしょう。今日は、生きとし生けるもの、ということで投稿します。ふと思いつき一気に書き上げました。
みなさんは、このように思った経験はありませんか。森を歩いていて、そこには木があり、草があり、セミが鳴いていて、花が咲いていて、そしてわたしがいて、みんな生きている。
共に生きている。そこには生きとし生けるものの命の輝きがあると感じたことは有りませんか。
人の人生も、出会いがあり、別れがあり、喜びがあり、悲しみがあり、怒りがあり、健やかなる時があり、病のときがあり、愛したり、憎んだり、泣いたり、笑ったり、人は生まれてから死ぬまで本当に色々な経験をします。
辛いとき、悲しいときの最中にいるときは、自分の人生の過去を思い起こす余裕などはないものです。
だけど人間、年齢を重ねれば、不思議ですね、過去の悲しみは癒され、よき思い出となることもあります。
そして、過去を懐かしく思える気持ちがもてます。そのときは辛くて、死ぬほど悲しかったことでも、懐かしく思い出すとこともある。
これらは時間が心を癒してくれるのでしょう。人間、いつまでも悲しかったこと、辛かったことを忘れられないのなら、その人生は地獄です。忘れることが出来るのも神様の祝福だと思います。
町を歩いていて思いますに、人は皆、いつかは必ず死ぬべき定めにあることを知りながら、それぞれが自分の人生を一生懸命生きている、と思えば、何と人間とは、けなげで、哀れで、はかない動物なのだろうと思うことはありませんか。
そのように思えば、人間みなこれ愛すべき存在であります。
いま、大切に思っていることでも、時間がたてば大したことではなくなることが、往々にしてあります。
そうなると、あのときの気持ちはなんだったのだろうかと、思えることもたびたびです。
この世で起こることで、絶対普遍なものはありません。仏教では、諸行無常と表現していますね。
このようなことを書くと、何を悟った顔をして、奇麗事を言っているのだ、と怒られそうです。
だけど、このような気持ちになれるのも、この年まで生かされてきたからです。
この祝福を感謝したいと思います。もちろん、わたしを造って今まで守って下さった神様のおかげです。
わたしも、自分の人生を振り返ってみて思うに、大した人生を歩いてこなかったけれど、まあ、わたしのことだから、満足とは行かないけれど、こんなものだろうって思えます。
だだ、現実を見渡すと、なんとも悲しくて辛い人生を歩いている方が多すぎます。
戦争があり、惨事あり、飢えている人がいて、自殺する人があり、人を殺す人がある、騙したり騙されたり、毎日のように新しい事件が起っています。
人間と言う動物は、どうしょうもなく、救いようがない動物ですね。何とかならないのでしょうか。
被害者も加害者も共に辛くて悲しい人生が待っています。
その後のことを考えると、余りにも切なくてどのように表現したらいいのか分かりません。
平和な顔をして、自分の歩いてきた人生を思い出し、感傷にふけっている自分が何だか恥ずかしくなります。でもわが人生もまだまだ続きます。
これから先、何が待っているかは分からないけれど、まあ、何とかなるでしょう。最後には、ありがとう、といって死にたいですね。
あれも人生これも人生、どのような人生もその人が主役、その人しか描けない、オンリーワンの人生です。
人生で起った辛いことの大概は、年数が経てば癒されます。思い出として残りますが、その人の糧となります。
辛いときを乗り越えたら老年になって円熟した人生を送れるかも知れません。
ただ中には、背負うものがあまりに重過ぎて負けてしまう人もいる。
このような人も、死んでも終わりでない、次の世があると思えたら、少しは救われるかもしれません。
イエスは聖書で、次の世があることを教えています。
よく、この世で起ったことはこの世で解決できないことはないと言いますが、わたしは、無理に解決する必要はないと思います。
この世の命が終れば、この世で起こったことはすべて終ります。解決しなくてもいいと思います。
人間、必ず死ぬから、どんな辛い人生も耐えられるのではないでしょうか。来世では、心機一転、やり直せばいいのですから?
どうせ生きるなら、生きとし生けるものお互い与えられた命を精一杯輝かせて生き抜こうではありませんか。
死にたくなったら、慌てて死ななくても、必ず、嫌でも死ななければならないときが来るのですから。
すべては、神様の御手のうちです。きっと、全てを神様に委ねていたら、最高のタイミングで死なせてくださるでしょう。
今日の聖句は、新約聖書第一コリント第10章13節「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」。
もう一つ、新約聖書ローマの信徒への手紙第5章4節「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」。
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