ブログの世界に、よろしく
ブログの世界に本日はじめてデビューしました。これから気の向くまま思うところを書いていきたいと思います。
わたしは聖書を学ぶことを生きがいとしていますので、聖書のことを中心にして、聖書から見た社会のこと、人生のことを書いていきたいと思います。
わたしは現役の頃、金融機関で「債権の管理回収部門」で金融法務を少しかじっていました。そのせいか、文書がちょっと硬いかもしれませんが、できるだけ読みやすくなるように頑張ります。
わたしは聖書を学ぶことを生きがいとしていますので、聖書のことを中心にして、聖書から見た社会のこと、人生のことを書いていきたいと思います。
わたしは現役の頃、金融機関で「債権の管理回収部門」で金融法務を少しかじっていました。そのせいか、文書がちょっと硬いかもしれませんが、できるだけ読みやすくなるように頑張ります。
このブログの目的
わたしは、ブログ名を、日記としておりますが、ブログ名にこだわらず、今興味を持っていることを中心に書いていくつもりでこのブログを始めたのですが、やはり、聖書のことがほとんどになりそうです。
わたしは牧師でも学者でもなくプロテスタントのいちクリスチャンですから、投稿文の内容が未熟なことはご容赦ください。
聖書を読む上で、これが絶対正しいという解釈はない、いろいろ解釈があってよいと思っています。
その中で、わたしは思うところというか与えられたところを書いているだけで、内容は未熟そのものですがよろしくお願いします。神は聖書を読む者に、御言葉を通してその人の人生に語り掛けられると信じています。
聖書を学ぶ際、関係する書物もいろいろと読んでいますが、書かれたものを読み学ぶ中で、自分の頭の中を整理するために投稿文を作成しています。
投稿文作成は、学んだ内容の再確認と整理という面では最適です。というわけで、既に投稿した文書を突然削除するとか、訂正することもありますが、ご容赦ください。
また、投稿文作成はわたし自身のため、つまりイエスの言葉をいつも心に抱くため、いつもイエスを見つめているためにはじめました。
しかし、聖書を真剣に読み始めて思ったのですが、えらいことを始めてしまった、ということです。あまりにも奥が深いので、いつこの学びが終わることかと、途方にくれることが度々あります。
聖書を通して、3000年以上の人類の歴史を学んでいると、いまここに生きているわたしは何者だろうと、不思議な感覚にとらわれることがあります。
人類の歴史とか世界の悲惨な現状をみて、心がポジティブになったりネガティブになったり忙しいのですが、イエスのおかげで、希望だけは失わないですんでいます。イエスの言葉は人類の希望の光です。
残された人生で聖書の学びは何処までいけるかは分かりません。でも止められません。聖書はそれだけわたしにとっては魅力的な存在です。
わたしは聖職者ではありませんから聖書解釈には何ら縛られるところがなく、聖職者では書けないような恥ずかしいことも自由に書けますので、聖書のことをよくご存じの方は、おかしいと思うところがあると思いますがご容赦ください。
わたしは縛られるのが嫌いですから、自由に聖書解釈できる立場を楽しんでいます。
よろしければ、いちクリスチャンの聖書の学びにお付き合いください。聖書の言葉を読み、少しでも思うところが与えられれば幸いです。
従って、投稿文の聖書の言葉は省略しないで、できるだけを書くようにしましたので、参考にしてください。
わたしは牧師でも学者でもなくプロテスタントのいちクリスチャンですから、投稿文の内容が未熟なことはご容赦ください。
聖書を読む上で、これが絶対正しいという解釈はない、いろいろ解釈があってよいと思っています。
その中で、わたしは思うところというか与えられたところを書いているだけで、内容は未熟そのものですがよろしくお願いします。神は聖書を読む者に、御言葉を通してその人の人生に語り掛けられると信じています。
聖書を学ぶ際、関係する書物もいろいろと読んでいますが、書かれたものを読み学ぶ中で、自分の頭の中を整理するために投稿文を作成しています。
投稿文作成は、学んだ内容の再確認と整理という面では最適です。というわけで、既に投稿した文書を突然削除するとか、訂正することもありますが、ご容赦ください。
また、投稿文作成はわたし自身のため、つまりイエスの言葉をいつも心に抱くため、いつもイエスを見つめているためにはじめました。
しかし、聖書を真剣に読み始めて思ったのですが、えらいことを始めてしまった、ということです。あまりにも奥が深いので、いつこの学びが終わることかと、途方にくれることが度々あります。
聖書を通して、3000年以上の人類の歴史を学んでいると、いまここに生きているわたしは何者だろうと、不思議な感覚にとらわれることがあります。
人類の歴史とか世界の悲惨な現状をみて、心がポジティブになったりネガティブになったり忙しいのですが、イエスのおかげで、希望だけは失わないですんでいます。イエスの言葉は人類の希望の光です。
残された人生で聖書の学びは何処までいけるかは分かりません。でも止められません。聖書はそれだけわたしにとっては魅力的な存在です。
わたしは聖職者ではありませんから聖書解釈には何ら縛られるところがなく、聖職者では書けないような恥ずかしいことも自由に書けますので、聖書のことをよくご存じの方は、おかしいと思うところがあると思いますがご容赦ください。
わたしは縛られるのが嫌いですから、自由に聖書解釈できる立場を楽しんでいます。
よろしければ、いちクリスチャンの聖書の学びにお付き合いください。聖書の言葉を読み、少しでも思うところが与えられれば幸いです。
従って、投稿文の聖書の言葉は省略しないで、できるだけを書くようにしましたので、参考にしてください。
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たまたま検索から入らせていただきました。いくつか拝読したのですが、とても正鵠を付いた、また品格のある文章に惹かれて、その最初の記事をもとめてまいりました。
できることなら、プロファイルを簡単にでも…と思いましたが、ここで初めて、それも拝見しました。
キリスト教の素晴らしさ、聖書の深さと魅力を今後も読ませていただきたいと思っています。
私も聖書について、拙文を書いていますが、一度お時間のお許しになるときにでも、お訪ね戴ければ、感謝です。
投稿: さとうまさこ | 2012年6月24日 (日) 17時59分