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2007年4月17日 (火)

不条理について

今日は、天気晴朗なれど風強し、されどわれヘラを釣りに行く。釣果19枚、グルテン餌のセットの底釣り。まあ、こんなもんでしょうね。さて、この世は腹の立つことが多い。何故ということが毎日のようにおこっている。不条理について考えてみました。

自分には何の落ち度もないのに、わが身に起こる不幸な仕打ち。人生の苦悩のほとんどが、理由のない理不尽なものかもしれない。どんなに辛いことでも、その理由が分かっておればいやいやでも納得もします。


理由がないから苦しむのです。交通事故とか、通りすがりに暴漢に殺された人の親族の、怒りの持っていきようがない気持ちがここにあります。

他にも、たとえば、なぜわたしがガンになったのか。なぜ自分には生まれながら障害があるのか、あの子の親はなんて金持ちなのだろう等々。

人生の不条理にはきりがありません。善人が不幸になり、悪人が栄える実例はいくらでもあります。 この不条理を条理にするため、納得するため人間は、宗教生み、前世の因縁とか先祖霊のたたりとか、因果応報で説明したりします。

生まれた環境がその人の人生に大きな影響を及ぼします。これは事実です。因果応報説によって偶然の支配や不条理を納得しょうとする心の葛藤も現実の前に破綻します。

旧約聖書のヨブ記に、応報説に戦いを挑んだ話があります。主人公のヨブは完全に神の戒めを守っている善人であるのに、災害で家族や全財産を失い、自分の身も疫病にかかります。

それを見た友人たちは、ヨブに隠れた罪があるから禍いが臨むのだといいますが、彼らの応報説に対してヨブは身の潔白を主張し、不条理をぼやき神様に愚痴をこぼします。

しかし、最後まで神様を否定しなかったので最後は神様の祝福を受けるのですが、人生の不条理の謎を解決したとは言えません。不条理は人生の永遠の謎です。

わたしには、人生の不条理に対して納得のゆく説明をしようなんて大それた考えはないしそんなこともできない相談です。だけど、聖書にはこんな聖句があります。

神が人生の不条理に苦しむ人々に示された恩恵です。マタイ5章4節「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。」

この世に生きる悲しみ、愛する人の死を迎える悲しみがある、そして、もう一つ、自分の罪、ここには神様に対する罪、隣人に対する罪が含まれていますが、そういう罪に対する悲しみ、罪に対する悲しみというものがある。聖書はそう記しています。

たいがい不条理は不幸な不条理と思います。しかし、聖書によれば、わたしたちの存在にはもう一つ別の不条理、恵みの不条理があります。

創造者なる神が、わたしにそれを受ける資格がないのに、罪からの救いを与え、永遠の命を与えてくださったということです。突然このようなことを言われても、なかなか信じ難いことです。

わたしには罪なんてないよ、と思うのが当たり前、でもそこでこの世の真理とは何かをもう一度考えてみたらいかがですか。聖書にはそのことの真理が書いてあります。

もちろん、すべてが書かれているわけではありませんが、分からないところはそのまま信じたらよいと思うのです。聖書には、分からないところがあっても、信じさせるだけの不思議な力があります。

真理なんてどうでもいや、と思えばそれでもいいのですが。わたしは、人間は真理を求めるように造られていると思うのです。だから科学が発達したのではないでしょうか。

分からないことがあれば知りたいと思うのが人間ではないでしょうか。

わたしたちの存在自体が、創造主である神にささえられて生かされている存在であり、それがその神様の一方的な、見返りを求めない恩恵によるものであることを知るとき、人生のもろもろの不条理は、神の恩恵という恵みの不条理の中に吸収されてしまう。

そのとき、わたしたちは、心の平安と、慰めを得る。イエス・キリストを信じる信仰を持つということはそう言うことだと思います。

理不尽な苦しみを契機に、神の、無条件の恩恵の世界を知るようになり、イエスを信じるようになった人が多くいるのも事実です。

最後に、このように考えるのもどうでしょうか、死によってこの世の生の営みがすべて無に帰すなら、この世の生の営みは、結局は不条理のまま終ることになる。

死を新たな生への入り口と考えるなら、人生のあらゆる労苦も決して無駄にはならない。だから、死後の命を信じるとは、現在の生に、つまりそれが不条理であっても意義を見出すことができる、といえないでしょうか。

ユダタ人の信仰について、「彼らはこの世は人間の意志で動くのではなく、神の御心で動くのだと堅く信じている。

だからこそ、この世は不条理なのだ。不条理だからこそ神を信じるのだ」、と書かれた本を読んだことがあります。  

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