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2007年4月21日 (土)

人生していますか

若い人が使いそうな言葉です。人生していますか?このように聞かれたらあなたはどのように答えますか。昨日わたしは義母のお供をして映画に行ってきました。

「東京タワー」を見てきました。その映画の物語の中に、この言葉を見ました。久しぶりに青春が蘇ったようでした。 誰でもが経験する、けっこうめちゃくちゃだけど何かを目指してあがいている青春、そして苦労して息子を大学に出す母親の姿、親父の浮気、その中からある日気がついて立ち直っていく息子、だが母親は死んでしまった。


そのような平凡さに人生を感じたのですね。この言葉から浮かんでくる人生は、毎日平凡な苦労を積み重ねている姿そのもの。言い換えれば、地道で、平凡で、ある程度の苦しみと忍耐を伴う日々を送っている普通の人間の姿そのもの。

人生の節目に入学式とか卒業式とか成人式とか入社式とか結婚式などがあって、すごく嬉しいときがありますが、それは数少なく、日々の生活はそれぞれ決まったことの繰り返しで、何となく過ごす日が続きます。

でも、人生は面白いですね、変わる時は思い切り変わります。毎日の生活が一変するときがあります。だから面白いのかもしれません。

しかし、そうゆうときでも、あとから振り返ってみると、毎日の生活の中に変化の兆しが現れているのが分かる時があります。そして不思議にいいときに変わったものだと感心させられる時があります。

ちょっとした用事があって、墜落した飛行機に乗り遅れて助かる人もいます。これらはすべて偶然でしょうか・・。

この世を支配されている創造主である神が、その人に、その人という作品を完成させるために、この世でなすべき目的を達成させるために、最適の時にやるべきことを導いてくださる。

その時をわれわれは見逃さないように毎日平凡な中にも注意を怠らず力を蓄えておくことが必要ではないだろうか。

今役立たない勉強でも将来必要になると思えば、学んでおくと創造主である神は、かならず将来最適の時にその努力に報いてくださる。そういう信仰に立って、毎日やるべきことをやっていると平凡な人生も退屈しないものです。

人生を生きる能力とは、困ったときにめげずにどのようにしたらいいのか、冷静に判断し行動する力ではなかろうか。いよいよどうしょうもないと思ったら、やるだけのことをやって天命(信仰者なら神の導きを)を待つ。

自分を造って下さった神に、わたしの人生をすべて委ねていれば、神はわたしという作品を造った目的にそって完成させてくださるのだから、こんなに楽なことはありません。一生懸命やるべきことをやって毎日を自然体で生きていれば良いのではなかろうか。

平凡な毎日の中で、チャンスが巡ってきた時に捉まえることのできる能力は、平凡な毎日の中で培われるものだと思います。

人生の終わりに心から、「私はこれで良かった、幸せだった」と思いたい。どのような状況に置かれても幸せと思える、平凡な毎日を幸せと思える、心のもち方を学ぶのも大切だと思います。

しかしこの学びは自分では身につけられない。どこから来るかといえば、結果として神を信じることから来るとしか言えないと思います。この世を見ている限り、平安はないという事ですね。自分の人生を神に委ねてしまうという生き方です。

参考聖句、新約聖書ヨハネ福音書14章27節「わたしは、平和をあなた方に残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」。

この聖句は、イエスが十字架にかけられる前に使徒に対し言い残した言葉です。

これから始まるイエスの十字架による死と、命をかけた伝道が始まるのに際し、イエスは、どのような試練があっても、心を騒がせるな、おびえるな、心の平和をあなた方に残していく、と使徒に語られた。事実、その後イエスは十字架にかけられ死に、復活された。

そして天に挙げられ代わりに聖霊が使徒に降り注ぐ、すると使徒の心は慰められ、平安になり、強くなる。臆病だった、卑怯者だった使徒は180度変えられて、残酷な迫害にもめげずイエスの言葉を堂々と伝えるようになる。こうしてキリスト教は全世界に広まっていったのです。

今でも、イエスの十字架による死と復活、そして御言葉を真理と信じる者は、聖霊を受け、どのような艱難辛苦があっても心の平安が与えられる。

その平安はきっと、イエスを信じたために迫害を受けた無数の信仰者、命をかけて人を救った信仰者、生涯を貧しいもののために捧げた信仰者の中にあると思います。

その人たちは、おそらくイエスに出会い人生を二分された人たちです。これらの人は、この2000年間のキリスト教の歴史が証明する事実です。

イエス・キリストを信じると、人生そのものが変わるのです。わたしはまだまだ未熟でとてもそこまでは行きませんが?でもその人たちを凄いと思います。尊敬します。

同じ人生でも、わたしの人生と余りにも違いすぎますが、わたしはわたしの重荷を負って、五十を過ぎて出会った聖書をライフワークとして、イエス共に残された人生を生きていきたいと思います。

きっと、神が御計画された出会いですから、わたしにとって最善なのでしょう。わたしも六十を過ぎましたが、人生していますかと問われれば、まだまだ人生しています、と応えます。

そして、もう少し命を長らえさせてください、このままでは心残りが多すぎます。と神様に祈っています。すがって祈ればきっと応えてくださるでしょう。

造られたものは、どうしょうか、どうして生きたら良いのかといちいち考えずに、造られた神の御心に人生を委ねれば、その人にとって最高の人生を送れるのではなかろうか。

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