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happy01このブログはhappy01

このブログは、わたしが聖書を学ぶ中で、自分が理解し、納得したところをまとめるために作成しました。
聖書を読み、キリスト教を知り、誰もが疑問に思うところを、自分なりにまとめてみました。モチロン、わたしはクリスチャン(プロテスタント)ですので、こうすることによって、自分の信仰が少しでも前進することを、自立した信仰をもてるようになることを求めています。というわけで、未熟ゆえ既に投稿した文書を突然削除したり訂正することもありますからご容赦ください。
信仰は、説教者の説教をそのまま信じるのではなく、自分の努力で理解して、信じることが大切かと思っています。もちろん、その努力と理解する知恵は、人間の意思とか努力だけではなく、その背後には神様の助けがあって初めてなされるものと思っています。なお、聖書は新共同訳を使用しています。

  現在の投稿文書数  323

カテゴリー別の投稿文一覧は次の通りです。

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2012年5月17日 (木)

聖書が語る殺人

人は毎日のように、病・戦争・殺戮・飢餓そして殺人などで死んでいます。誰にも知られず生まれ死んで行く人、この世に何ら生きていた痕跡も残さず虫けらのように死んで行く人。その人たちの人生のどこに意味があるのでしょうか。それとも人生に意味などないのでしょうか。

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2012年5月11日 (金)

共におられる神(2)

本当の神は、ここにもそこにも、どこにでもおられる。そうして、創造の目的を達成するために、わたしたち各個人に刻々と、その時にその人にあった方法で、あるいは、世界中のあらゆるものに夜も昼も休むことなく働きかけておられる。神が支え保って下さらなければ、わたしたちは一時も生きてはいけません。聖書の神はそういう神だと思います。

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2012年5月 9日 (水)

共におられる神(1)

少し前から関心を持っていたのですが、ようやく考えがまとまりましたので書きます。参考にした聖書個所は次の通りです。
マタイの福音書 第1章23節
「「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。」
マタイの福音書第10章29節
「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」
マタイの福音書第10章30節「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」
ヨハネの福音書第1章1節から3節
1節「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
2節「この言は、初めに神と共にあった。」
3節「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」

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2012年5月 4日 (金)

聖書と奇跡

奇跡とは何でしょう。まず、最初に辞書を引いてみましょう。ウィキペディアには、「(奇蹟、きせき、とは、人間の力や自然現象を超えたできごと。神の力などとされ宗教と結びついていることが多い。旧約聖書でもモーセはさまざまな奇跡を行ったと記述されている。キリスト教のうち、正教会、カトリック教会、さらに聖公会・プロテスタントの内の福音主義は、キリストの処女降誕、キリストの肉体的復活など、キリストの生涯における出来事を超自然的な奇跡が起きたとする。それに対し自由主義神学系の聖書学者は、それら奇跡を認めず、信仰上のイエス・キリストと史的イエスとを分離するアプローチを可としている。)」

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2012年5月 1日 (火)

知恵と黙示とダニエル書

イスラエル民族は、アブラハムの時に神の全人類への救いのメッセージを伝えるために神に用いられました。ところが,イスラエル民族の一部の指導層はそのメッセージを自分たちの救いのためと勘違いしてしまいました。そして、指導者層は神の救いの言葉を自分たちに都合よく独占し、名誉と権力の保身に走りました。

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2012年4月24日 (火)

知恵と黙示と旧約聖書

旧約聖書の知恵は、ソロモンの時代に最盛期を迎えます。そこでは、知恵は、人間のあらゆる技能から医術、行政、行動の倫理的な規範、学問的な頭脳にいたる広い意味を与えられ、この知恵は、自然界を分別する能力あるいは実際生活においての行動規範としての諺とか譬えに大別されるそうです。

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2012年4月18日 (水)

神の知恵と黙示

旧約聖書の知恵文学から黙示文学を経てイエス・キリストに至る過程を、理解できたところを簡単にまとめてみました。この作業は、聖書を理解するために自分の頭の中を整理する上で必要と考えています。考え違いがあればご容赦ください。

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2012年4月11日 (水)

神はどこに

心理学者ノイマンは、「太古の人類の意識は、大自然に包まれて、ちょうど偉大な母に抱かれた幼子のように大自然と未分化の状態であった」と言っています。そして、この偉大な母に喩えられた大自然が自己を表わすとき、それはソフイア(知恵、女性形)の姿であるとも言っています。

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2012年4月 8日 (日)

神のみ心と祈り

祈りは、自己のニーズを満たしたいがために祈るのだと思います。人間がニーズを覚えるのは摂理だと思います。人間の力ではどうしょうもないニーズを覚えれば、人間は自分が被造物であることを自覚し、謙虚にもなります。そして、誰も自己の必要を満たしてくれるものがなければ、人は神にそれを求めます。

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2012年4月 5日 (木)

祈りが叶えられる時

イエスが、悪霊に取りつかれた子供を癒されたところでイエスは次のように言われています。
「イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。(マタイの福音書第17章20節)

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2012年4月 1日 (日)

福音はユダヤ人から広まった

福音書を理解するための問題点の一つに、ペトロが使徒言行録第2章14節~42節で聖霊降臨のあとユダヤ人を前に迫害も恐れず福音を大きな声で語り始めましたが、なぜ、その説教を聞いたユダヤ人がその日の内に3000人ほども仲間に加わったのかであります。(使徒言行録第2章41節)

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2012年3月20日 (火)

福音書について(3)

「福音書について(2)」からです。最終です。
神が聖書の編成を人間の手にゆだねられたということは、神は自分の意志を人間に伝えるのに、まことに人間らしい方法を取られたということではないでしょうか。

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2012年3月17日 (土)

福音書について(2)

「福音書について(1)」からの続きです。
さて福音書に話を戻しますが、四福音書を比べてみると、四福音書も同じイエスの生前の言葉とか出来事を書いたものですが、四福音書間に食い違いや不一致、つまり、表現方法が違っていたり、用い方が違っていたりするところがあります。


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2012年3月14日 (水)

福音書について(1)

三回に分けて福音書の内容の真偽につきわたしが思うところを簡単にまとめてみました。
聖書は、キリスト教の聖典でイエス・キリストを証する書物です。旧約聖書は1000年余りにわたってイスラエルの多数の預言者の手で書かれました。預言者と言うのは、神の言葉を預かり告げる人ということで、未来を予言する予言者ではありません。

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2012年3月 9日 (金)

創世記よもやま話(3)

さて、ここでもう少し旧約聖書の創世記の預言「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」を詳しく見ていきたいと思います。

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2012年3月 2日 (金)

創世記よもやま話(2)

聖書研究の専門家がエデンの園が造られた、人間が創造された時期を聖書から計算しましたら、今から約6000年から10000年前と言うことです。イエスがこの世に来られる約4000年前です。
さて旧約聖書の創世記によると、イエスがこの世に来られ十字架にかけられるのもこの創世記の時代に決まっていたといえます。それは、「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。

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2012年3月 1日 (木)

創世記よもやま話(1)

創世記よもやま話(1)
聖書では、イエスの十字架上の死は悪魔の仕業と言う設定だと思います。それでは、悪魔は、なぜ、イエスを亡き者にせざるを得なかったでしょうか。それは、もともとこの世は悪魔の支配下にあったのですが、イエスが人の子としてこの世に来られて、人間に天国のことを伝え、天国と同じワールド、つまりキリスト者の共同体をこの世に造ろうとされたからだと思います。

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2012年2月20日 (月)

イエスの出来事は本当か

誰でもがつまずく新約聖書の奇跡やしるしが事実かどうかいについて考えてみたいと思います。
この問題は誰でもが聖書を読むうえで考えることだと思います。たとえば、ルカの福音書第7章11節以下で、ナインのやもめの息子が死から生き返ったというのは、ほんとうの出来事でしょうか。

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2012年2月14日 (火)

幸運と摂理

良いことがあったら、ハッピーといいます。この言葉には、たまたま幸運をもらったという認識があります。自分はたまたま運が良かっただけということです。
これを神のおかげと言う方もおられます。神のおかげならば、神がわざわざわたしのために働かれて幸運を下さったと言うことになります。

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2012年2月10日 (金)

人間救済の意味(2)

人間救済の意味(1)からの続きです。
マタイの福音書第5章48節のイエスの言葉、「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

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2012年2月 8日 (水)

人間救済の意味(1)

「創世記よもやま話」という投稿文で、創世記第3章15節の「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」という聖句につき、色々と書きました。

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2012年2月 3日 (金)

聖書解釈について(2)

「聖書解釈について(1)」からの続きです。
聖書の一つの解釈は入り口にすぎず、また違う時に読めば別の解釈ができるかも知れない。なぜなら、読む人が生きている時代が、文化が違えば解釈が違っても当たり前だと思うのです。

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2012年2月 1日 (水)

聖書解釈について(1)

聖書解釈の一つであるファンダメンタリズムについて書いてみたいと思います。専門のかたがいろいろと書かれていますが、わたしは専門的に聖書解釈について勉強したわけではありませんが、聖書解釈について思うところがありますので、見当違いをしているかもしれませんが書いてみたいと思います。二回の分けます。

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2012年1月20日 (金)

神を知る

どうすれば神がおられることを信じることができるのだろうか。信仰を持たないほとんどの日本人は、無神論者というより本当の神がおられるかどうかについては無感心だと思いませんか。それとも、神と出会っているがその出会いが神との出会いだと気づいていないのでしょうか。

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2012年1月14日 (土)

ケリュグマ

最初期の教団に共通のキリスト告白(ケリュグマ)について今回は考えてみたいと思います。ケリュグマの意味は、辞書によると「新約聖書学で、原始キリスト教会の説教のキリスト証言部分。広義には、福音宣教の内容」ということです。

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2012年1月 8日 (日)

イエス受難時の出来事(3)

「イエス受難時の出来事(2)」からの続きです。
さてイエスの復活ですが、復活については他の投稿文と重複しているところもありますが、ここでは福音書の記事にそって書いてみたいと思います。

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2012年1月 3日 (火)

イエス受難時の出来事(2)

「イエス受難時の出来事(1)」からの続きです。
聖書には余りにも不思議な出来事が書かれていますので、また。旧約聖書の預言がそのまま起こったこととして記載されているところもありますので、福音書を読んでいてどの個所が事実でどの個所が物語なのか、いや、全部が本当なのだろうかと、疑問を持ちます。

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2012年1月 1日 (日)

イエス受難時の出来事(1)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今回は、イエス受難時の出来事について思うところを書いてみます。
つまり、イエスがユダヤ教の指導者に逮捕され、十字架にかけられて復活するまでの出来事で思うところを三回に分けて書いてみます。

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2011年12月22日 (木)

さらにイエスの復活について

411.さらにイエスの復活について(聖書の疑問いろいろ)・・投稿済み
別の投稿文「イエスの処女降誕について」と一部重複するかもしれませんがご容赦ください。イエスの復活についてもう少し書いてみたいと思います。

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2011年12月15日 (木)

イエスの処女降誕と復活

イエスの処女降誕もイエスの復活もわたしたちの常識から外れた出来事です。これを信じることができるのか、どのように考えればよいのかわたしなりに思うところを書いてみました。

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